13 一つずつの詩句の集成 第2章

13. Vanavacchattheragāthā 2. Dutiyavaggo
1. Ekakanipāto Theragāthāpāḷi

‘‘Nīlabbhavaṇṇā rucirā, sītavārī sucindharā;

Indagopakasañchannā, te selā ramayanti ma’’nti.

… Vanavaccho thero….

パーリテキストでも詩句には13と番号が付されている。第2章としては3になる。
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碧(あお)き雲の色を帯び、麗しく、冷(ひやや)かな水あり、清き流れあり、インダゴーバカ草に覆われたこれらの岩山は、わたしを楽しませる。

ヴァナヴァッチャ長老

仏弟子の告白 中村元 訳  岩波文庫  一つずつの詩句の集成 第2章 13

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。屋外での瞑想を坐って行うことがよくなされていたようである。例えば、気候風土の良い時期に良く茂った木の根元に坐り清明な意識のままで風景を楽しむのは瞑想である。

41 第3章 心

41 3. Cittavaggo Dhammapadapāḷi

Aciraṃ vatayaṃ kāyo, pathaviṃ adhisessati;

Chuddho apetaviññāṇo, niratthaṃva kaliṅgaraṃ.

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ああ、この身はまもなく地上によこたわるであろう。―意識を失い、無用の木片(きぎれ)もように、投げ棄てられて。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第3章 心   41

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。死を当然のように受け入れ、しかもそれを厭うのではない。

40 第3章 心

40 3. Cittavaggo Dhammapadapāḷi

Kumbhūpamaṃ kāyamimaṃ viditvā, nagarūpamaṃ cittamidaṃ ṭhapetvā;

Yodhetha māraṃ paññāvudhena, jitañca rakkhe anivesano siyā.

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この身体は水瓶のように脆(もろ)いものだと知って、この心を城廓のように(堅固に)安立して、知慧の武器をもって、悪魔と戦え、克(か)ち得たものを守れ。―しかもそれに執著することなく。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第3章 心   40

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。身体の脆弱性、人間はどんなきっかけていつ死ぬか分からない。心を保てという。いつ死ぬか分からないになぜ心を保つのだろうか。一つは修行をしようと心に決めた人や修行はしたいがまだ時間があると迷っている人への勧めである。二つ目は、ひとりでも多くの人が心が安定し落ち着くことによって、その人がは死んでゆくが、残された人に対する波紋がより小さいからである。知る人が幸せに死んでゆけば、その後も生きる者は勇気づけられるのである。

93 第1 蛇の章 6、破滅

93 1.Uragavaggo 6. Parābhavasuttaṃ

‘‘Iti hetaṃ vijānāma, paṭhamo so parābhavo;

Dutiyaṃ bhagavā brūhi, kiṃ parābhavato mukhaṃ’’.

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「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第一の破滅です。先生!第二のものを説いてください。破滅への門は何ですか?」

94 第1 蛇の章 6、破滅

94 1.Uragavaggo 6. Parābhavasuttaṃ

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「悪い人々を愛し、善(よ)い人々を愛することなく、悪人のならいを楽しむ。これは破滅への門である。」

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫 第1 蛇の章 6、破滅 93-94

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。中村先生の訳注によると、先生―bhagavā. 呼びかけである(主格ではない。主格ならば次の語がbrūhi とはならぬ。)インドでは弟子は、師に対してこの呼びかけを用いる。愛することなく―na kurute piyaṃ. ここのpiyaṃ は複数形対格である。楽しむ―roceti(=piheti pattheti.Pj.p.169).とされる。

人は自分が一番かわいい、一番大切である。他の生き物それぞれも、自分が一番かわいいし大切である。よって、一番大切な自分がそうありたくないことを、他の生き物に押し付けてはならない。これを思う事が悪い思いであり、これを伝えることが悪口であり、これを行うことが悪い行いである。

辨道話 岩波文庫 5

しかあるに、弘通(ぐづう)のこゝろを放下(ほうげ)せしむ激揚のときをまつゆゑに、しばらく雲遊萍寄(うんいうひやうき)して、まさに先哲の風(ふう)をきこえむとす。たゞし、おのづから名利にかゝはらず、道念をさきとせん真実の参学あらむか、いたづらに邪師にまどはされて、みだりに正解(しやうげ)をおほひ、むなしく自狂にゑうて、ひさしく迷郷(めいきやう)にしづまん、なにによりてか般若(はんにや)の正種(しやうしゆ)を長(ちやう)じ、得道の時をえん。貧道はいま雲遊萍寄をこととすれば、これをあはれむゆゑに、まのあたり大宋国にして禅林の風規を見聞し、知識の玄旨を稟持(りんぢ)せしを、しるしあつめて、参学閑道の人にのこして、仏家(ぶつけ)の正法をしらしめんとす。これ真訣(しんけつ)ならむまも。いはく、

正法眼蔵(1) 道元 著 水野弥穂子 校注  岩波文庫

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。
以下は管理者の解釈である。「そうであるのに、仏の教えをひろめようと奮い立つときをまっていたので、しばらく足の向くまま転々と移動して、誰かすぐれたやり方をしている人がいないか探した。ただし、自分からは名誉や利益にかかわらず、修行を中心とするほんとうの道場がないかを調べたが、良くない師匠が正しいことを覆い隠し、修行者本人も修行に疑問をいっだいて、ながい迷いの状態にあった、これではどうして仏道を正しく修行しさとりに近づけるだろうか。わたしは、足の向くまま転々と移動していたが、この状況を残念に思うので、大宋国で禅修行のやり方を見てきて、また師匠たちの言葉を頂いて保っているので、これを記録して、道に参じようとする人に伝えて、正しい仏道修行を知ってもらおうとする。これが大切なのです。そして、」

テーリーガーター 〔序の詩句〕

Therīgāthāpāḷi 1. Ekakanipāto

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa

かの尊き師、尊敬されるべき人、正しく覚れる人に、敬礼したてまつる。

1. Aññatarātherīgāthā 1. Ekakanipāto 
Therīgāthāpāḷi

‘‘Sukhaṃ supāhi therike, katvā coḷena pārutā;

Upasanto hi te rāgo, sukkhaḍākaṃ va kumbhiya’’nti.

Itthaṃ sudaṃ aññatarā therī apaññātā bhikkhunī gāthaṃ abhāsitthāti.

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若き尼よ。幸せに眠れ。―(そなたの)作った衣を身にまとったまま、そなたの欲情は静まっている。―瓶の中の枯れ葉のように。

 名の不詳である或る尼僧・長老尼は、このように詩句を唱えた。

尼僧の告白 中村元 訳  岩波文庫  〔序の詩句〕 1

39 第3章 心

39 3. Cittavaggo Dhammapadapāḷi

Anavassutacittassa, ananvāhatacetaso;

Puññapāpapahīnassa, natthi jāgarato bhayaṃ.

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心が煩悩に汚されることなく、おもいが乱れることなく、善悪のはからいを捨てて、目ざめている人には、何も恐れることが無い。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第3章 心   39

瞑想中こころは何事か好ましい事か好ましくないことかを求めて次々の想念を繰り出してきます。そうでなければ退屈して眠くなります。善悪というのは普遍的にあるのではなく個人的また状況的なものです。主観的に用いられます。好き嫌いに善悪のレッテルを張ります。それが私であるというのも、それは私ではないというのも方便です。次々に出て来るビジョンに飲み込まれないことが大切です。

38 第3章 心

38 3. Cittavaggo Dhammapadapāḷi

Anavaṭṭhitacittassa, saddhammaṃ avijānato;

Pariplavapasādassa, paññā na paripūrati.

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心が安住することなく、正しい真理を知らず、信念が汚されたならば、さとりの知慧は全からず。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第3章 心   38

禅または瞑想により心を整え、経典などを読んで真理に近づこうと努め、それらを成し遂げようと世間の迷いから離れるならさとりの智慧の近くにいる。

91 第1 蛇の章 6、破滅

91 1.Uragavaggo 6. Parābhavasuttaṃ

‘‘Parābhavantaṃ purisaṃ, mayaṃ pucchāma gotama [gotamaṃ (sī. syā.)];

Bhagavantaṃ [bhavantaṃ (syā. ka.)] puṭṭhumāgamma, kiṃ parābhavato mukhaṃ’’.

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「われらは、〈破滅する人〉のことをゴータマ(ブッダ)におたずねします。破滅への門は何ですか?師にそれを聞こうとしてわれらはここに来たのですが、―。」

92 第1 蛇の章 6、破滅

92 1.Uragavaggo 6. Parābhavasuttaṃ

‘‘Suvijāno bhavaṃ hoti, suvijāno [duvijāno (syā. ka.)] parābhavo;

Dhammakāmo bhavaṃ hoti, dhammadessī parābhavo’’.

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(師は答えた)、「栄(さか)える人を識別することは易(やす)く、破滅を識別することも易い。理法を愛する人は栄え、理法を嫌う人は敗(やぶ)れる。」

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫 第1 蛇の章 6、破滅 91-92

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。中村先生の訳注によると、栄える人―bhavaṃ(=vaḍḍhanto aparihāyanto puriso.Pj.p.168).理法を嫌う人―dhammadessī(=tam eva dhammaṃ dessati , na piheti napattheti na suṇāti na paṭipajjati.Pj.p.168). dessatiはSkrt.dviṣati, dveṣṭ に相当するとされる。

理法は、人間の考えた法則ではなく存在する縁起 -相互依存性のことだと考える。

現成公案 3 正法眼蔵岩波文庫

身心(しんじん)を挙(こ)して色(しき)を見取し、身心を挙して声(じやう)を聴取するに、したしく会取(ういしゆ)すれども、かゞみに影をやどすがごとくにあらず、水と月とのごとくにはあらず。

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。
以下は管理人の解釈である。「自分自身を総動員して、形を正確に見ようとし、自分自身を総動員して音を正確に聞こうと努め、継続して形や音に接してきたが、かがみのように正確に写すよう認識することはできず、水が月を映しとるようにはならない。」

一方を証するときは、一方はくらし。

「同じものとして捉えることができない。」

仏道をならふといふは、自己をならふ也、自己をならふといふは、自己をわするゝなり。

「仏道修行をしようとすることは、自分というものが何であるかを調べることである、自分が何であるかを調べることは、自我を忘れないとできない。」

自己をわするゝといふは、万法に証せらるゝなり。

「自我を忘れるという方法によって、仏の教えに証明されるのである。」

万法に証せらるゝといふは、自己の身心および他己(たこ)の身心をして脱落(だつらく)せしむるなり。

「仏の教えに証明されるというのは、自分という者や他人という者を忘れてしまうことである。」

悟迹(ごじやく)の休歇(きうけつ)なるあり、休歇なる悟迹を長々出(ちやうちやうしゆつ)ならしむ。

「いったんさとれば、さとりの感覚が自分のなかにのこるので、のこされたさとりの感覚は長くつかうことができるのである。」

正法眼蔵(1) 道元 著 水野弥穂子 校注  岩波文庫