集中は行為そのものを忘れるほど行為に打ち込んでいる時にもあらわれる。また意識を特定部分に集中するときもある。
月: 2020年6月
令和2年6月30日 利き手でないほうの手を使う
使い続けることによって作動性が保たれる。注意をはらうことは気づきにつながる。
令和2年6月29日 自転車をつかった瞑想
短いお経をこころの中で唱える。慈悲の瞑想をおこなう。鼻腔を通過する空気を感じる。二時間ほどの時間の中で、今日はいつの間にか、お経に戻っていることが多い。
令和2年6月29日 利き手でないほうの手を使う
改めて利き手でないほうの手をつかう。さらにその手でほかの事もやってみようと思う。
令和2年6月28日 参禅
まず仏の像を目の前に思い浮かべるように試みる。慈悲の瞑想をおこなう。経行では左右の足をこころの中で唱える。甘露の法雨が降ってきて自分を濡らし、そこにつかることをイメージする。
令和2年6月28日 利き手でないほうの手を使う
細かな動きは苦手だったんだと思う。他人とは比べるべきもない。
令和2年6月26日 ゆっくり動く瞑想
自分にかかる地球の引力を細かく感じるように試みる。評価せずに感じだけを体験し、今ここに集中する。
令和2年6月26日 利き手でないほうの手を使う
自由な指使いが増せばさらに使いたくなる。
令和2年6月25日 ゆっくり動く瞑想
形容せずに感覚そのものを味わう。名称と形態にコントロールされないように。
令和2年6月25日 利き手でないほうの手を使う
利き手でないほうの手もしだいにこなれてくる。思考方向に影響があるかはわからない。