11 一つずつの詩句の集成 第2章

11. Cūḷavacchattheragāthā 2.Dutiyavaggo  1. Ekakanipāto Theragāthāpāḷi

‘‘Pāmojjabahulo bhikkhu, dhamme buddhappavedite;

Adhigacche padaṃ santaṃ, saṅkhārūpasamaṃ sukha’’nti.

… Cūḷavaccho [cūlagavaccho (sī.)] thero….

パーリテキストでも詩句には11と番号が付されている。第2章としては1になる。
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仏の説かれた真理を大いに歓喜する修行僧は、動く形成作用の静まった、安楽なる、静けさの境地に到達するであろう。

 チューラヴァッチャ長老

仏弟子の告白 中村元 訳  岩波文庫  一つずつの詩句の集成 第2章 11

中村先生の訳注によると、静けさの境地―padaṃ santaṃ (=nibbāna.Co nm.)ニルヴァーナ(涅槃)のことをいう。インドの詩文では、仙人の庵のある静かな場所を
śāntaṃ padamと呼ぶ。(e.g.Abhijṅāna・Śākuntatam)とされる。

ニルヴァーナは大きなことではあるが、誰も到達できない大きなことにしてしまうと、法を説くことを決心された釈迦牟尼に申し訳ない。静けさの境地は容易に続けることが困難であるという事と、そこには誰もが近づけるという状態でなければならない。

33 第3章 心

33 3. Cittavaggo Dhammapadapāḷi

Phandanaṃ capalaṃ cittaṃ, dūrakkhaṃ [durakkhaṃ (sabbattha)] dunnivārayaṃ;

Ujuṃ karoti medhāvī, usukārova tejanaṃ.

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心は、動揺し、ざわめき、護り難く、制し難い。英知ある人はこれを直(なお)くする。―弓師が矢の弦を直くするように。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第3章 心   33

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。禅あるいは瞑想の時、こころと思っているものは、一時も留まることなく、強制的にこれを押し留めることは難しい。むしろ、その思いを受け取め、そのときに思い浮かんだこととして、タグを付けるように言葉にして流す。最初の内はその思いに巻き込まれ感受してしまうことがあるかもしれないが、幸いには心は次から次へと思いを繰り出してくる。そのうちに一つ所にとらわれないことに慣れて来るであろう。

32 第2章 はげみ

32 2. Appamādavaggo Dhammapadapāḷi

Appamādarato bhikkhu, pamāde bhayadassi vā;

Abhabbo parihānāya, nibbānasseva santike.

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いそしむことを楽しみ、放逸におそれをいだく修行僧は、堕落するはずはなく、すでにニルヴァーナの近くにいる。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第2章 はげみ   32

修行者への励ましの言葉である。

Appamādavaggo dutiyo niṭṭhito.

はげみの章が終わる。

31 第2章 はげみ

31 2. Appamādavaggo Dhammapadapāḷi

Appamādarato bhikkhu, pamāde bhayadassi vā;

Saṃyojanaṃ aṇuṃ thūlaṃ, ḍahaṃ aggīva gacchati.

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いそしむことを楽しみ放逸におそれをいだく修行僧は、微細なものでも粗大なものでもすべて心のわずらいを、焼きつくしながら歩む。―燃える火のように。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第2章 はげみ   31

中村先生の訳注によると、いそしむことを楽しみ―appamādarato.漢訳『法句経』には「謹慎を楽しみ」とある。。修行にいそしむことをシナの伝統的観念で「謹慎」と訳したのである。心のわずらい―saññojana.漢訳仏典では「結」と訳す。パーリ文註解は「輪廻の苦しみと結びつける」(vaṭṭadukkhena saddhiṃ yojanan ti )と解している。人々の心にまといついて、生死流転のうちに迷わせるからであるとされる。

結をネットで調べると、衆生を煩悩に縛りつける束縛としての煩悩のこととされている。中村先生の訳とはだいぶん雰囲気が違ってくる。

30 第2章 はげみ

30 2. Appamādavaggo Dhammapadapāḷi

Appamādena maghavā, devānaṃ seṭṭhataṃ gato;

Appamādaṃ pasaṃsanti, pamādo garahito sadā.

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マガヴァ―(インドラ神)は、つとめはげんだので、神々のなかでの最高の者となった。つとめはげむことを人々はほめたたえる。放逸なることはつねに非難される。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第2章 はげみ   30

中村先生の訳注によると、マガヴァ― ―Maghavā.「寛仁なる者」「恵みを垂れる者」の意で、インドラ神の別名である。空界を支配する最高神。『リグ・ヴェーダ』において最も有力な神であったが、仏教にとり入れられて「帝釈天」となったとされる。

放逸とは勝手気ままな生活を指すので、大方、どのような立場からも非難されるであろう。つとめはげむことや継続することの重要さを話される。禅や瞑想なども効果を期待するものではなく、続けることが重要である。

現成公案 2 正法眼蔵岩波文庫

自己をはこびて万法を修証するを迷(まよ)いとす。

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。
以下は管理人の解釈である。「自分が工夫して仏の教えを修行し証明しようとするのは迷いの方法である。」

万法すゝみて自己を修証するはさとりなり。

「仏の教えが自然に修行証明する自分の中に入ってくるのがさとりである。」

迷を大悟(だいご)するは諸仏なり、悟に大迷(だいめい)なるは衆生なり。

「まよいによってさとりを理解するのが仏たちであり、さとろうとしてまよってしまうのが普通の人々である。」

さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷(いうめい)の漢あり。

「また、さとりに入る道でさとりを得る人もいるし、まよいにまよう人もいる。」

諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちゐず。

「ほとけたちが本当にほとけたちであるなら、自分はほとけたちの一員であるなどと感じることはない。」

しかあれども証仏なり、仏を証しもてゆく。

「しかしながら、これはほとけの教えを証明したことになる、ほとけの教えを証明しほとけの教えが証明されたのである。」

正法眼蔵(1) 道元 著 水野弥穂子 校注  岩波文庫

辨道話 岩波文庫 3

いまをしふる巧夫辨道(くふうべんだう)は、証上に万法をあらしめ、出路に一如(いちによ)を行ずるなり。その超関(てうくわん)脱落のとき、この説目(せちもく)にかゝはらむや。

正法眼蔵(1) 道元 著 水野弥穂子 校注  岩波文庫

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。
以下は管理人の解釈である。「いま教えようとしている坐禅は、ほとけの教えを試めせる、ただ一つの方法でありそれを行おうとするものである。この方法により身心脱落するとき、どのような細かい決まりがかかわるだろうか。」
おなじ部分について解釈を重ねて行っていたので、先者の記述に追加し、この記事は未分類に一時保管する。

83 第1 蛇の章 5、チュンダ

83 1.Uragavaggo 5. Cundasuttaṃ

‘‘Pucchāmi muniṃ pahūtapaññaṃ, (iti cundo kammāraputto)

Buddhaṃ dhammassāmiṃ vītataṇhaṃ;

Dvipaduttamaṃ [dipaduttamaṃ (sī. syā. kaṃ. pī.)] sārathīnaṃ pavaraṃ, kati loke samaṇā tadiṅgha brūhi’’.

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鍛冶工(かじこう)の子チュンダがいった。「偉大な智慧ある聖者・目ざめた人・真理の主・妄執を離れた人・人類の最上者・優(すぐ)れた御者(ぎょしゃ)に、わたくしはおたずねします。―世間にはどれだけの修行者がいますか?どうぞお説きください。」

84 第1 蛇の章 5、チュンダ

84 1.Uragavaggo 5. Cundasuttaṃ

‘‘Caturo samaṇā na pañcamatthi, (cundāti bhagavā)

Te te āvikaromi sakkhipuṭṭho;

Maggajino maggadesako ca, magge jīvati yo ca maggadūsī’’.

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師(ブッダ)は答えた。「チュンダよ。四種の修行者があり、第五の者はありません。面と向かって問われたのだから、それらをあなたに明かしましょう。―〈道による勝者〉と〈道を説く者〉と〈道において生活する者〉と及び〈道を汚(けが)す者〉とです。」

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫 第1 蛇の章 5、チュンダ 83、84

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。中村先生の訳注によると、チュンダ―この一連の詩句はパーヴァ―において師ブッダが鍛冶工チュンダ(Cunda)に説いた説法の要領を後代の人がまとめたものである。鍛冶工―kammāra.’the worker in metals’(Rhys Davids)(Mhp.Ⅳ,13f.).妄執―taṇhā.人類の最上者―Dipaduttman ti dipadānaṃ(Pj.p.160).最高の人間。修行者―以下においてsamaṇaとbhikkhuという語が同義に用いられている。ともに修行者と訳した。面と向って問われた―sakkhi putto(=sammukhā pucchito.Pj.p.160.).とされる。

口を開けば批判になってしまうようなことには口を閉ざさなければならない。