辨道話 岩波文庫 5

しかあるに、弘通(ぐづう)のこゝろを放下(ほうげ)せしむ激揚のときをまつゆゑに、しばらく雲遊萍寄(うんいうひやうき)して、まさに先哲の風(ふう)をきこえむとす。たゞし、おのづから名利にかゝはらず、道念をさきとせん真実の参学あらむか、いたづらに邪師にまどはされて、みだりに正解(しやうげ)をおほひ、むなしく自狂にゑうて、ひさしく迷郷(めいきやう)にしづまん、なにによりてか般若(はんにや)の正種(しやうしゆ)を長(ちやう)じ、得道の時をえん。貧道はいま雲遊萍寄をこととすれば、これをあはれむゆゑに、まのあたり大宋国にして禅林の風規を見聞し、知識の玄旨を稟持(りんぢ)せしを、しるしあつめて、参学閑道の人にのこして、仏家(ぶつけ)の正法をしらしめんとす。これ真訣(しんけつ)ならむまも。いはく、

正法眼蔵(1) 道元 著 水野弥穂子 校注  岩波文庫

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。
以下は管理者の解釈である。「そうであるのに、仏の教えをひろめようと奮い立つときをまっていたので、しばらく足の向くまま転々と移動して、誰かすぐれたやり方をしている人がいないか探した。ただし、自分からは名誉や利益にかかわらず、修行を中心とするほんとうの道場がないかを調べたが、良くない師匠が正しいことを覆い隠し、修行者本人も修行に疑問をいっだいて、ながい迷いの状態にあった、これではどうして仏道を正しく修行しさとりに近づけるだろうか。わたしは、足の向くまま転々と移動していたが、この状況を残念に思うので、大宋国で禅修行のやり方を見てきて、また師匠たちの言葉を頂いて保っているので、これを記録して、道に参じようとする人に伝えて、正しい仏道修行を知ってもらおうとする。これが大切なのです。そして、」

テーリーガーター 〔序の詩句〕

Therīgāthāpāḷi 1. Ekakanipāto

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa

かの尊き師、尊敬されるべき人、正しく覚れる人に、敬礼したてまつる。

1. Aññatarātherīgāthā 1. Ekakanipāto 
Therīgāthāpāḷi

‘‘Sukhaṃ supāhi therike, katvā coḷena pārutā;

Upasanto hi te rāgo, sukkhaḍākaṃ va kumbhiya’’nti.

Itthaṃ sudaṃ aññatarā therī apaññātā bhikkhunī gāthaṃ abhāsitthāti.

The Pāḷi Tipiṭaka  https://www.tipitaka.org/

若き尼よ。幸せに眠れ。―(そなたの)作った衣を身にまとったまま、そなたの欲情は静まっている。―瓶の中の枯れ葉のように。

 名の不詳である或る尼僧・長老尼は、このように詩句を唱えた。

尼僧の告白 中村元 訳  岩波文庫  〔序の詩句〕 1

39 第3章 心

39 3. Cittavaggo Dhammapadapāḷi

Anavassutacittassa, ananvāhatacetaso;

Puññapāpapahīnassa, natthi jāgarato bhayaṃ.

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心が煩悩に汚されることなく、おもいが乱れることなく、善悪のはからいを捨てて、目ざめている人には、何も恐れることが無い。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第3章 心   39

瞑想中こころは何事か好ましい事か好ましくないことかを求めて次々の想念を繰り出してきます。そうでなければ退屈して眠くなります。善悪というのは普遍的にあるのではなく個人的また状況的なものです。主観的に用いられます。好き嫌いに善悪のレッテルを張ります。それが私であるというのも、それは私ではないというのも方便です。次々に出て来るビジョンに飲み込まれないことが大切です。

38 第3章 心

38 3. Cittavaggo Dhammapadapāḷi

Anavaṭṭhitacittassa, saddhammaṃ avijānato;

Pariplavapasādassa, paññā na paripūrati.

The Pāḷi Tipiṭaka  https://www.tipitaka.org/

心が安住することなく、正しい真理を知らず、信念が汚されたならば、さとりの知慧は全からず。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第3章 心   38

禅または瞑想により心を整え、経典などを読んで真理に近づこうと努め、それらを成し遂げようと世間の迷いから離れるならさとりの智慧の近くにいる。

91 第1 蛇の章 6、破滅

91 1.Uragavaggo 6. Parābhavasuttaṃ

‘‘Parābhavantaṃ purisaṃ, mayaṃ pucchāma gotama [gotamaṃ (sī. syā.)];

Bhagavantaṃ [bhavantaṃ (syā. ka.)] puṭṭhumāgamma, kiṃ parābhavato mukhaṃ’’.

The Pāḷi Tipiṭaka  https://www.tipitaka.org/

「われらは、〈破滅する人〉のことをゴータマ(ブッダ)におたずねします。破滅への門は何ですか?師にそれを聞こうとしてわれらはここに来たのですが、―。」

92 第1 蛇の章 6、破滅

92 1.Uragavaggo 6. Parābhavasuttaṃ

‘‘Suvijāno bhavaṃ hoti, suvijāno [duvijāno (syā. ka.)] parābhavo;

Dhammakāmo bhavaṃ hoti, dhammadessī parābhavo’’.

The Pāḷi Tipiṭaka  https://www.tipitaka.org/

(師は答えた)、「栄(さか)える人を識別することは易(やす)く、破滅を識別することも易い。理法を愛する人は栄え、理法を嫌う人は敗(やぶ)れる。」

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫 第1 蛇の章 6、破滅 91-92

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。中村先生の訳注によると、栄える人―bhavaṃ(=vaḍḍhanto aparihāyanto puriso.Pj.p.168).理法を嫌う人―dhammadessī(=tam eva dhammaṃ dessati , na piheti napattheti na suṇāti na paṭipajjati.Pj.p.168). dessatiはSkrt.dviṣati, dveṣṭ に相当するとされる。

理法は、人間の考えた法則ではなく存在する縁起 -相互依存性のことだと考える。