しかあるに、弘通(ぐづう)のこゝろを放下(ほうげ)せしむ激揚のときをまつゆゑに、しばらく雲遊萍寄(うんいうひやうき)して、まさに先哲の風(ふう)をきこえむとす。たゞし、おのづから名利にかゝはらず、道念をさきとせん真実の参学あらむか、いたづらに邪師にまどはされて、みだりに正解(しやうげ)をおほひ、むなしく自狂にゑうて、ひさしく迷郷(めいきやう)にしづまん、なにによりてか般若(はんにや)の正種(しやうしゆ)を長(ちやう)じ、得道の時をえん。貧道はいま雲遊萍寄をこととすれば、これをあはれむゆゑに、まのあたり大宋国にして禅林の風規を見聞し、知識の玄旨を稟持(りんぢ)せしを、しるしあつめて、参学閑道の人にのこして、仏家(ぶつけ)の正法をしらしめんとす。これ真訣(しんけつ)ならむまも。いはく、
正法眼蔵(1) 道元 著 水野弥穂子 校注 岩波文庫
テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。
以下は管理者の解釈である。「そうであるのに、仏の教えをひろめようと奮い立つときをまっていたので、しばらく足の向くまま転々と移動して、誰かすぐれたやり方をしている人がいないか探した。ただし、自分からは名誉や利益にかかわらず、修行を中心とするほんとうの道場がないかを調べたが、良くない師匠が正しいことを覆い隠し、修行者本人も修行に疑問をいっだいて、ながい迷いの状態にあった、これではどうして仏道を正しく修行しさとりに近づけるだろうか。わたしは、足の向くまま転々と移動していたが、この状況を残念に思うので、大宋国で禅修行のやり方を見てきて、また師匠たちの言葉を頂いて保っているので、これを記録して、道に参じようとする人に伝えて、正しい仏道修行を知ってもらおうとする。これが大切なのです。そして、」