122 第1 蛇の章 7、賤しい人

122 1.Uragavaggo 7. Vasalasuttaṃ

‘‘Attahetu parahetu, dhanahetu ca [dhanahetu va (ka.)] yo naro;

Sakkhipuṭṭho musā brūti, taṃ jaññā vasalo iti.

The Pāḷi Tipiṭaka  https://www.tipitaka.org/

証人として尋(たず)ねられたときに、自分のため、他人のため、また財のために、偽りを語る人、—かれを賤しい人であると知れ。

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫 第1 蛇の章 6、賤しい人 122

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。中村先生の訳注によると、財のために―dhanahetu. とされる。

121 第1 蛇の章 7、賤しい人

121 1.Uragavaggo 7. Vasalasuttaṃ

‘‘Yo ve kiñcikkhakamyatā, panthasmiṃ vajantaṃ janaṃ;

Hantvā kiñcikkhamādeti, taṃ jaññā vasalo iti.

The Pāḷi Tipiṭaka  https://www.tipitaka.org/

実に僅かの物が欲(ほ)しくて路行く人を殺害して、僅かの物を奪い取る人、―かれを賤しい人であると知れ。

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫 第1 蛇の章 6、賤しい人 121

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。得たものに比較して犯した罪が重いという事はあると思う。罪と罰は、混同されて用いられることがある。罪を重くしてくださいと被害者が法廷などで申し立てているのは、罪ではなく罰である。

辨道話 岩波文庫 7

かくのごとく単伝して、おのづから六祖大鑑(だいかん)禅師にいたる。このとき、真実の仏法まさに東漢に流演して、節目にかゝはらぬむねあらはれき。ときに六祖に二位の神足(じんそく)ありき。南獄の懐譲(ゑじやう)と青原(せいげん)の行思(ぎやうし)となり。ともに仏印(ぶつもん)を伝持して、おなじく人天(にんでん)の導師(だうし)なり。その二派の流通(るづう)するに、よく五門ひらけたり。いはゆる法眼宗(ほふげんしゆう)・潙仰宗(ゐぎやうしゆう)・曹洞宗(そうとうしゆう)・雲門宗(うんもんしゆう)・臨済宗(りんざいしゆう)なり。見在(けんざい)、大宋には臨済宗のみ天下にあまねし。五家(け)ことなれども、たゞ一心仏印なり。

正法眼蔵(1) 道元 著 水野弥穂子 校注  岩波文庫

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。
 以下は管理者の解釈である。「このように伝えられて六祖大鑑禅師まで伝わった。このときに本当の仏法が東漢に伝わり広められて、細かい規則にかからわないことが解ってきた。六祖には二人のすぐれた弟子がいる。南獄の懐譲と青原の行思とである。ともに正しい仏道を伝え持って、おなじように優れた師匠である。この二人の教えから五つの流派が生まれた。法眼宗・潙仰宗・曹洞宗・雲門宗・臨済宗である。みるところ、大宋には臨済宗が世間に広まっている。五つの流派があるといっても、ただ一つの仏道を乗じることは同じである。」

50 第4章 花にちなんで

50 4. Pupphavaggo Dhammapadapāḷi

Na paresaṃ vilomāni, na paresaṃ katākataṃ;

Attanova avekkheyya, katāni akatāni ca.

The Pāḷi Tipiṭaka  https://www.tipitaka.org/

他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただし、自分のしたこととしなかったこととだけを見よ。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第4章 花にちなんで   50

大変厳しい教えである。いや、他の人には出来ているのかもしれないと思う。

120 第1 蛇の章 7、賤しい人

120 1.Uragavaggo 7. Vasalasuttaṃ

‘‘Yo have iṇamādāya, cujjamāno [bhuñjamāno (?)] palāyati;

Na hi te iṇamatthīti, taṃ jaññā vasalo iti.

The Pāḷi Tipiṭaka  https://www.tipitaka.org/

実際には負債(ふさい)があるのに、返済するように督促(とくそく)されると、『あなたからの負債はない』といって言い逃(のが)れる人、—かれを賤しい人であると知れ。

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫 第1 蛇の章 6、賤しい人 120

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。教えはどれも具体的で、平然と負債がないといってのける人は、正しくはないが生命力の強さのようなものを感じる。負債がないのに負債を感じる多くの人々に強くあってほしいと願う。

119 第1 蛇の章 7、賤しい人

119 1.Uragavaggo 7. Vasalasuttaṃ

‘‘Gāme vā yadi vā raññe, yaṃ paresaṃ mamāyitaṃ;

Theyyā adinnamādeti [adinnaṃ ādiyati (sī. pī.)], taṃ jaññā vasalo iti.

The Pāḷi Tipiṭaka  https://www.tipitaka.org/

村にあっても、林にあっても、他人の所有物をば、与えられないのに盗(ぬす)み心をもって取る人、—かれを賤しい人であると知れ。

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫 第1 蛇の章 6、賤しい人 119

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。与えられないのに取ろうとすることはよくない。

テーリーガーター〔序の詩句〕2

2. Muttātherīgāthā 1. Ekakanipāto 
Therīgāthāpāḷi

‘‘Mutte muccassu yogehi, cando rāhuggahā iva;

Vippamuttena cittena, anaṇā bhuñja piṇḍaka’’nti.

Itthaṃ sudaṃ bhagavā muttaṃ sikkhamānaṃ imāya gāthāya abhiṇhaṃ ovadatīti.

The Pāḷi Tipiṭaka  https://www.tipitaka.org/

ムッター〔〕よ。悪魔ラーフに捉えられた月がその縛(いまし)めから脱するように、もろもろの軛(くびき)から脱れよ。そなたは、心が解脱して、負債の無い者として、托鉢の食物を受用せよ。

 尊き師は、しばしばこの詩句をとなえて、見習尼ムッターをこのように教えさとされた。

尼僧の告白 中村元 訳  岩波文庫  〔序の詩句〕 2

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。

118 第1 蛇の章 7、賤しい人

118 1.Uragavaggo 7. Vasalasuttaṃ

‘‘Yo hanti parirundhati [uparundheti (syā.), uparundhati (ka.)], gāmāni nigamāni ca;

Niggāhako [nigghātako (?)] samaññāto, taṃ jaññā vasalo iti.

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村や町を破壊し、包囲し、圧制者として一般に知られる人、—かれを賤しい人であると知れ。

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫 第1 蛇の章 6、賤しい人 118

49 第4章 花にちなんで

49 4. Pupphavaggo Dhammapadapāḷi

Yathāpi bhamaro pupphaṃ, vaṇṇagandhamaheṭhayaṃ [vaṇṇagandhamapoṭhayaṃ (ka.)];

Paleti rasamādāya, evaṃ gāme munī care.

The Pāḷi Tipiṭaka  https://www.tipitaka.org/

蜜蜂は(花の)色香を害(そこな)わずに、汁をとって、花から飛び去る。聖者が村に行くときは、そのようにせよ。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第4章 花にちなんで   49

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。蜜蜂は単に蜜を受け取るだでけでなく、花粉を運んで受精を助けている。

48 第4章 花にちなんで

48 4. Pupphavaggo Dhammapadapāḷi

Pupphāni heva pacinantaṃ, byāsattamanasaṃ naraṃ;

Atittaññeva kāmesu, antako kurute vasaṃ.

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花を摘(つ)むのに夢中になっている人が、未だ望みを果たさないうちに、死神がかれを征服する。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第4章 花にちなんで   48

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。中村先生の訳注によると、花を摘む―五欲の対象―atittaṃ yeva kā mesu. パーリ語以前の原始経典では「欲望に満足する」kāmehi tappati というふうに「満足する」tṛpという動詞は具格(instrumental)をとっていたが、パーリ語に直されるときに具格を支配したこともあったが、この場合のように位格(locative)に改められることもあったとされる。