浴槽洗い、食事の時の箸をもつ手、食器洗い、歯磨きなど、すこし意識を向けることによって続けることが出来る。
投稿者: mindfult
227 第2 小なる章
229 2. Cūḷavaggo 1. Ratanasuttaṃ
Ye puggalā aṭṭha sataṃ pasatthā, cattāri etāni yugāni honti;
Te dakkhiṇeyyā sugatassa sāvakā, etesu dinnāni mahapphalāni;
Idampi saṅghe ratanaṃ paṇītaṃ, etena saccena suvatthi hotu.
The Pāḷi Tipiṭaka https://www.tipitaka.org/
善人のほめたたえる八輩(はちはい)の人はこれらの四双(しそう)の人である。かれらは幸せな人(ブッダ)の弟子であり、施与(せよ)を受けるべきである。かれらに施(ほどこ)したならば、大いなる果報(かほう)をもたらす。この勝れた宝は〈つどい〉のうちにある。この真理によって幸せであれ。
ブッダのことば 中村元 訳 岩波文庫 第2 小なる章 1、宝 227
テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。中村先生の注釈によれば、仏教の聖者の位を、預流、一来、不還、阿羅漢という四つの聖位に分かつ、これを四双という。四双一々をその一々に向かって進みつつある位と、至りついた境地とに分かつから、全部で八つの位があることになり、合せて八輩というとされる。
令和元年10月5日 利き手でないほうの手を使う
風呂の浴槽洗い、歯磨き、箸を使っての昼食、食器洗い、思いつくままに利き手ではないほうの手を使って生活をする。
141 第10章 暴力
141 10. Daṇḍavaggo Dhammapadapāḷi
Na naggacariyā na jaṭā na paṅkā, nānāsakā thaṇḍilasāyikā vā;
Rajojallaṃ ukkuṭikappadhānaṃ, sodhenti maccaṃ avitiṇṇakaṅkhaṃ.
The Pāḷi Tipiṭaka https://www.tipitaka.org/
裸の行(ぎょう)も、髷(まげ)に結(ゆ)うのも、身が泥にまみれるのも、断食も、露地に臥(ふ)すのも、塵や泥を身に塗るのも、蹲(うずくま)って動かないのも、—疑いを離れていない人を浄めることはできない。
ブッダの真理のことば 感興のことば 中村元 訳 岩波文庫 真理のことば 第10章 悪 141
テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。
令和元年10月4日 利き手でないほうの手を使う
風呂の浴槽はあまり力を入れずまんべんなくあらった。歯磨きは歯に加わる力を歯で感じる。磨きのこしがないか不安があり、反対の手で再度磨く。昼食の箸はうどんのようなものをつまめるようになった。食器洗いは両方の手を使うので役割分担があやふやになる。
令和元年10月3日 人中での瞑想
呼吸を鼻腔で感じる瞑想を試みたが、今一つ空気の流れが感じられない。おなかの膨らみへこみのほうが伝わってくる。しかしこれもありということだと受領する。
令和元年10月3日 利き手でないほうの手を使う
浴槽洗いは手の動きがだいぶん自由になった。箸はフォークのように使っているようでもあり同じ動きではない。食器洗いは昨日よりは役割分担がうまくいった。
226 第2 小なる章
228 2. Cūḷavaggo 1. Ratanasuttaṃ
Yaṃ buddhaseṭṭho parivaṇṇayī suciṃ, samādhimānantarikaññamāhu;
Samādhinā tena samo na vijjati, idampi dhamme ratanaṃ paṇītaṃ;
Etena saccena suvatthi hotu.
The Pāḷi Tipiṭaka https://www.tipitaka.org/
最も勝れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定を、ひとびとは「〔さとりに向って〕間(ま)をおかぬ心の安定」と呼ぶ。この〈心の安定〉と等しいものはほかに存在しない。このすぐれた宝は理法の(教え)のうちに存する。この真理によって幸せであれ。
ブッダのことば 中村元 訳 岩波文庫 第2 小なる章 1、宝 226
テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。
令和元年10月2日 利き手でないほうの手を使う
今日は食器と箸を手を持ち換えて洗う。片方だけ用途を変えるのは混乱が少ないが、両手をつかい攻守を変えるのは混乱する。
137,140 第10章 暴力
136,140 10. Daṇḍavaggo Dhammapadapāḷi
Yo daṇḍena adaṇḍesu, appaduṭṭhesu dussati;
Dasannamaññataraṃ ṭhānaṃ, khippameva nigacchati.
Vedanaṃ pharusaṃ jāniṃ, sarīrassa ca bhedanaṃ [sarīrassa pabhedanaṃ (syā.)];
Garukaṃ vāpi ābādhaṃ, cittakkhepañca [cittakkhepaṃ va (sī. syā. pī.)] pāpuṇe.
Rājato vā upasaggaṃ [upassaggaṃ (sī. pī.)], abbhakkhānañca [abbhakkhānaṃ va (sī. pī.)] dāruṇaṃ;
Parikkhayañca [parikkhayaṃ va (sī. syā. pī.)] ñātīnaṃ, bhogānañca [bhogānaṃ va (sī. syā. pī.)] pabhaṅguraṃ [pabhaṅgunaṃ (ka.)].
Atha vāssa agārāni, aggi ḍahati [ḍayhati (ka.)] pāvako;
Kāyassa bhedā duppañño, nirayaṃ sopapajjati [so upapajjati (sī. syā.)].
The Pāḷi Tipiṭaka https://www.tipitaka.org/
手むかうことなく罪科(つみとが)の無い人々に害を加えるならば、次に挙げる十種の場合のうちのどれかに速や(すみや)かに出会うであろう、—(1)激しい痛み、(2)老衰、(3)身体の傷害、(4)重い病い、(5)乱心、(6)国王からの災い、(7)恐ろしい告げ口(8)親族の滅亡(ほろび)と、(9) 財産の損失と、(10)その人の家を火が焼く。この愚かな者は、身やぶれてのちに、地獄に生れる。
ブッダの真理のことば 感興のことば 中村元 訳 岩波文庫 真理のことば 第10章 悪 137、140
テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。