129 第10章 暴力

129 10. Daṇḍavaggo Dhammapadapāḷi

Sabbe tasanti daṇḍassa, sabbe bhāyanti maccuno;

Attānaṃ upamaṃ katvā, na haneyya na ghātaye.

The Pāḷi Tipiṭaka  https://www.tipitaka.org/

すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己(おの)が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第10章 悪 129

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。殺す対象は生きとし生けるものとなるが、目に見えないほど小さな生き物など極端な考えをもつと隘路に入ることがある。

令和元年9月15日 参禅

お寺に向かう途中で白く丸い月が出ていたので、きょうこれを使ってみようかとその時は思っていたが、坐るとすっかり忘れてしまっていた。心の中で数をかぞえる瞑想、慈悲の瞑想、ボディスキャンをおこなった。丸い月の観想も次の機会に行っていこうとおもう。

216 第1 蛇の章

218 1.Uragavaggo 12. Munisuttaṃ

Yo saññatatto na karoti pāpaṃ, daharo majjhimo ca muni [daharo ca majjho ca munī (sī. syā. kaṃ. pī.)] yatatto;

Arosaneyyo na so roseti kañci [na roseti (syā.)], taṃ vāpi dhīrā muni vedayanti.

The Pāḷi Tipiṭaka  https://www.tipitaka.org/

自分を制して悪をなさず、若いときでも、中年でも、聖者は自己を制している。かれは仙人に悩まされることなく、また何びとをも悩まさない。諸々の賢者は、かれを〈聖者〉であると知る。

ブッダのことば   中村元  訳   岩波文庫   第1  蛇の章      12、聖者  216

せめて自分に悩まされるのをやめることは出来ないか。その時々の衝動にかられる自分がいる。

令和元年9月13日 自転車での瞑想

ふとこれまで目に見たことがない光景が見えて驚いた。それは神秘体験などではなくて、これまでもあったのに見えていなかったということで、まわりの風景のすべてをみているように思っていたが、そうではなく、目の前の風景でさえありのままに見ていない自分というものが実感された。

215 第1 蛇の章

217 1.Uragavaggo 12. Munisuttaṃ

Yo ve ṭhitatto tasaraṃva ujju, jigucchati kammehi pāpakehi;

Vīmaṃsamāno visamaṃ samañca, taṃ vāpi dhīrā muni vedayanti.

The Pāḷi Tipiṭaka  https://www.tipitaka.org/

梭(ひ)のように真直(まっす)ぐにみずから安立し、諸々の悪い行為を嫌い、正と不正とをつまびらかに考察している人、—諸々の賢者は、かれを〈聖者〉と知る。

ブッダのことば   中村元  訳   岩波文庫   第1  蛇の章      12、聖者  215

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。

128 第9章 悪

128 9. Pāpavaggo Dhammapadapāḷi

Na antalikkhe na samuddamajjhe, na pabbatānaṃ vivaraṃ pavissa;

Na vijjatī so jagatippadeso, yatthaṭṭhitaṃ [yatraṭṭhitaṃ (syā.)] nappasaheyya maccu.

The Pāḷi Tipiṭaka  https://www.tipitaka.org/

大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の洞窟に入っても、およそ世界のどこにいても、死の脅威のない場所は無い。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第9章 悪 128

諸行無常。諸法無我。涅槃寂静。

Pāpavaggo navamo niṭṭhito.

悪の章を終わる。

214 第1 蛇の章

216 1.Uragavaggo 12. Munisuttaṃ

Yo ogahaṇe thambhorivābhijāyati, yasmiṃ pare vācāpariyantaṃ [vācaṃ pariyantaṃ (ka.)] vadanti;

Taṃ vītarāgaṃ susamāhitindriyaṃ, taṃ vāpi dhīrā muni vedayanti.

The Pāḷi Tipiṭaka  https://www.tipitaka.org/

他人がことばを極(きわ)めてほめたりそしったりしても、水浴場における柱のように泰然(たいぜん)とそびえ立ち、欲情を離れ、諸々の感覚をよく静めている人、—諸々の賢者は、かれを〈聖者〉であると知る。

ブッダのことば   中村元  訳   岩波文庫   第1  蛇の章      12、聖者  214

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。中村先生の訳注によると柱、—河岸、池などの岸辺(tittha)で人の沐浴するところに、四角或いは六角の柱を建て、貴い家の人でも賤しい家の人でも、その柱に身体をこすりつけて洗う。しかしその柱は倣らずへり下らないのをいうとされる。