135 第1 蛇の章 7、賤しい人

135 1.Uragavaggo 7. Vasalasuttaṃ

‘‘Yo ve anarahaṃ [anarahā (sī. pī.)] santo, arahaṃ paṭijānāti [paṭijānati (sī. syā. pī.)];

Coro sabrahmake loke, eso kho vasalādhamo.

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実際は尊敬されるべき人ではないのに尊敬されるべき人(聖者)であると自称し、梵天(ぼんてん)を含む世界の盗賊である人、—かれこそ実に最下の賤しい人である。

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫 第1 蛇の章 6、賤しい人 135

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。最上級の非難である。

134 第1 蛇の章 7、賤しい人

134 1.Uragavaggo 7. Vasalasuttaṃ

‘‘Yo buddhaṃ paribhāsati, atha vā tassa sāvakaṃ;

Paribbājaṃ [paribbajaṃ (ka.), paribbājakaṃ (syā. kaṃ.)] gahaṭṭhaṃ vā, taṃ jaññā vasalo iti.

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目ざめた人(ブッダ)をそしり、或いは出家・在家のその弟子(仏弟子)をそしる人、—かれを賤しい人であると知れ。

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫 第1 蛇の章 6、賤しい人 134

間違ったことをしているからであろうか。

62 第5章 愚かな人

62 5. Bālavaggo Dhammapadapāḷi

Puttā matthi dhanammatthi [puttamatthi dhanamatthi (ka.)], iti bālo vihaññati;

Attā hi [attāpi (?)] attano natthi, kuto puttā kuto dhanaṃ.

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「わたしには子がある。わたしには財がある。」と思って愚かな者は悩む。しかしすでぬ自己が自己のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第5章 愚かな人  62

それらのものは彼岸へ持って行くことができない。

61 第5章 愚かな人

61 5. Bālavaggo Dhammapadapāḷi

Carañce nādhigaccheyya, seyyaṃ sadisamattano;

Ekacariyaṃ [ekacariyaṃ (ka.)] daḷhaṃ kayirā, natthi bāle sahāyatā.

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旅に出て、もしも自分よりもすぐれた者か、または自分にひとしい者に出会わなかったら、むしろきっぱりと独りで行け、愚かな者を道伴(つ)れにしてはならぬ。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第5章 愚かな人  61

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。

令和元年6月4日 自転車での瞑想

適度な疲労は、夜の睡眠を深いものにしてくれる。瞑想は自分自身の体と心を知る手段の一つである。瞑想は誰もいないところで座って行わなければならないものではない。こだわりを捨てよう。自分自身をどんなところでも見失わないようにしよう。なにか碇を見つけよう。

60 第5章 愚かな人

60 5. Bālavaggo Dhammapadapāḷi

Dīghā jāgarato ratti, dīghaṃ santassa yojanaṃ;

Dīgho bālānaṃ saṃsāro, saddhammaṃ avijānataṃ.

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眠れない人には夜は長く、疲れた人には一里の道は遠い。正しい真理を知らない愚かな者どもには、生死の道のりは長い。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第5章 愚かな人  60

どこかで聞いたような気がする詩句、誰かが引用したのであろうか。

令和元年6月3日 自転車での瞑想

自転車は走っていれば倒れない。一度生まれた生き物が死ぬまで生き続けるのは生まれた原因の大元が死ぬ原因の大元に違いない。せっかく生まれたからには死ぬまで安楽であることを求める。この安楽とは何かという事が人それぞれであるが、こころの安楽である。アドラーさんが人間の悩みの全ては対人関係の悩みであるといっていると聞く。心の安楽は悩みの無い状態である。しかし他人は存在する。悩みの解決を他人に求めるから悩みは続く。悩みの解決を自分に求めれば、他人がどうであろうと悩みはなくなる。涅槃とはそういう状態ではないだろうか。

現成公案 5 正法眼蔵岩波文庫

たき木、はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。

 以下は管理人の解釈である。「薪は火となる、しかしさらに進んで薪となることはない」

しかあるを、灰はのち、薪(たきぎ)はさきと見取すべからず。

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。
「そのようであるのを、灰はあと、薪がはじめと見るべきではない。」

しるべし、薪は薪の法位(ほふゐ)に住して、さきありのちあり。

「知ってください、薪には薪としての存在として、過去と未来があります。」

前後ありといへども、前後際断せり。

「過去未来があるといっても、(薪となる前は木の幹や枝であったように)その存在には始まりと終わりがあるのです。」

灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。

「灰には灰という存在として、未来や過去があります。」

かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生(しやう)とならず。

「先ほどの薪が、燃えた後、灰となった後、さらに薪となったりすることが無いように、人が死んだあと生きているという事にはならないのです。」

しかあるを、生(しやう)の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり。

「そうであるのに、生きているものが死ぬといわないのは、仏法での表現の仕方なのです。」

このゆゑに不生(ふしやう)といふ。

「この理由により、生まれていないといいます。」

死の生(しやう)にならざる、法輪(ほふりん)のさだまれる仏転(ぶつてん)なり。

「死が生になるのではないということ、これは仏法の説明する表現方法なのです。」

このゆに不滅といふ。

「このために死なないといいます。」

生も一時のくらなり、死も一時のくらゐなり

「生きていることも一時的な状態で、死んでいることも一時の状態なのです。」

たとへば、冬と春のごとし。

「たとえばそれは冬と春の関係のようです。」

冬の春となるとおもはず、春の夏となるとはいはぬなり。

「冬が春に移るとは思わず、春が夏に移るとはいいません。」

58 第4章 花にちなんで

58 4. Pupphavaggo Dhammapadapāḷi

Yathā saṅkāraṭhānasmiṃ [saṅkāradhānasmiṃ (sī. syā. kaṃ. pī.)], ujjhitasmiṃ mahāpathe;

Padumaṃ tattha jāyetha, sucigandhaṃ manoramaṃ.

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大道に棄てられた塵芥(ちりあくた)の山堆(やまずみ)の中から香(かぐわ)しく麗(うるわ)しい蓮華が生ずるように。

59 第4章 花にちなんで

59 4. Pupphavaggo Dhammapadapāḷi

Evaṃ saṅkārabhūtesu, andhabhūte [andhībhūte (ka.)] puthujjane;

Atirocati paññāya, sammāsambuddhasāvako.

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塵芥(ちりあくた)にも似た凡夫のあいだにあって、正しくめざめた人(ブッダ)の弟子は知慧もて輝く。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第4章 花にちなんで  58-59

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。

Pupphavaggo catuttho niṭṭhito.

花にちなんでの章終わる。花は欲望にも智慧にもたとえられる。煩悩則菩提という言葉があるが、煩悩をもつ人という存在こそが悟りを得るための機縁となる。