6 第1章 容色などの章    アングッタラ二カーヤ 第1集

6 第1集 第1章 容色などの章

6  Ekakanipātapāḷi 1. Rūpādivaggo Aṅguttaranikāyo

‘‘Nāhaṃ, bhikkhave, aññaṃ ekarūpampi samanupassāmi yaṃ evaṃ itthiyā cittaṃ pariyādāya tiṭṭhati yathayidaṃ, bhikkhave, purisarūpaṃ. Purisarūpaṃ, bhikkhave, itthiyā cittaṃ pariyādāya tiṭṭhatī’’ti. Chaṭṭhaṃ.

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比丘たちよ、わたしはこれほどまでに女性のこころを固くとらえる容色を、他にひとつも見ない。比丘たちよ、それは男性の容色である。比丘たちよ、男性の容色は女性のこころを固くとらえるものである。

原始仏典Ⅲ増支部経典  第1巻  浪花宣明  訳   前田專學  編集   中村元 監修  春秋社  第1集 第1章 容色などの章 6

5までは、男性の立場からのとらわれるものを説いていたが、6からは女性の立場からのものにかわる。

148 第11章 老いること

148 11. Jarāvaggo Dhammapadapāḷi

Parijiṇṇamidaṃ rūpaṃ, roganīḷaṃ [roganiḍḍhaṃ (sī. pī.), roganiddhaṃ (syā.)] pabhaṅguraṃ;

Bhijjati pūtisandeho, maraṇantañhi jīvitaṃ.

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この容色は衰えはてた。病の巣であり、脆くも滅びる。腐敗のかたまりで、やぶれてしまう。生命は死に帰着する。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第11章 老いること 148

すべての形あるものは、それぞれが滅する時期に、相互の依存関係によって、その形を失う。このため、現在の形に執着してはならない。また将来滅することを悲観してはならない。常に現在を生きよと聞く。そこでは、現在を生きるに際し、一時の快楽で身を楽しませることや、苦痛で自己を痛めつけることで平穏を保つことは出来ないとお釈迦様は説かれた。常に現在に生きれば、過ぎ去った過去を悔いることもなく、まだ来ぬ未来に怯えることもない。後悔することの無いように現在を生きよ。

147 第11章 老いること

147 11. Jarāvaggo Dhammapadapāḷi

Passa cittakataṃ bimbaṃ, arukāyaṃ samussitaṃ;

Āturaṃ bahusaṅkappaṃ, yassa natthi dhuvaṃ ṭhiti.

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見よ、粉砕された形体を!(それは)傷だらけの身体であって、いろいろのものが集まっただけである。病に悩み、意欲ばかり多くて、堅固でなく、安住していない。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第11章 老いること 147

個体があるのではなく、いろいろなものが集まったものを私と呼んでいる。他から切り離された、実体としての私があるのではない。

232 第2 小なる章

235 2. Cūḷavaggo 1. Ratanasutt

Kiñcāpi so kamma [kammaṃ (sī. syā. kaṃ. pī.)] karoti pāpakaṃ, kāyena vācā uda cetasā vā;

Abhabba [abhabbo (bahūsu)] so tassa paṭicchadāya [paṭicchādāya (sī.)], abhabbatā diṭṭhapadassa vuttā;

Idampi saṅghe ratanaṃ paṇītaṃ, etena saccena suvatthi hotu.

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またかれが身体によって、ことばによって、またはこころの中で、たとい僅かなりとも悪い行為をなすならば、かれはそれを隠すことができない。隠すことができないということを、究極(きゅうきょく)の境地を見た人は説きたもうた。このすぐれた宝が〈つどい〉のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

ブッダのことば   中村元  訳   岩波文庫   第2  小なる章      1、宝  232

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。パーリ語テキストと中村先生の訳の部分があっていなかった。中村先生の訳231からである。深くお詫びする。

231 第2 小なる章

233.234 2. Cūḷavaggo 1. Ratanasuttaṃ

Sahāvassa dassanasampadāya [sahāvasaddassanasampadāya (ka.)], tayassu dhammā jahitā bhavanti;

Sakkāyadiṭṭhi vicikicchitañca, sīlabbataṃ vāpi yadatthi kiñci.

Catūhapāyehi ca vippamutto, chaccābhiṭhānāni [cha cābhiṭhānāni (sī. syā.)] bhabba kātuṃ [abhabbo kātuṃ (sī.)];

Idampi saṅghe ratanaṃ paṇītaṃ, etena saccena suvatthi hotu.

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〔Ⅰ〕自身を実在とみなす見解と〔Ⅱ〕疑いと〔Ⅲ〕外面的な戒律・誓いという三つのことがらが少しでも存在するならば、かれが知見を成就(じょうじゅ)するとともに、それらは捨てられてしまう。かれは四つの悪い場所から離れ、また六つの重罪をつくるものとはなり得ない。このすぐれた宝が〈つどい〉のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

ブッダのことば   中村元  訳   岩波文庫   第2  小なる章      1、宝  231

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。中村先生の訳注によると、三つのことがら―ここに挙げられた三つは十結のうちの最初の三つである。それらは聖者(預流果)では消え失せる。四つの悪い場所、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅をいうとされる。(細かくは解釈の違いあり。)六つの重罪—母を殺し、父を殺し、阿羅漢を殺し、仏の身体から血を出し、僧団の和合を破り、異教徒の教えに従うことをいうとされる。

パーリ語テキストと中村先生の訳の部分があっていなかった。中村先生の訳231からである。深くお詫びする。

146 第11章 老いること

146 11. Jarāvaggo Dhammapadapāḷi

Ko nu hāso [kinnu hāso (ka.)] kimānando, niccaṃ pajjalite sati;

Andhakārena onaddhā, padīpaṃ na gavesatha.

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何の笑いがあろうか。何の歓びがあろうか?—世間は常に燃え立っているのに―。汝らは暗黒に覆われている。どうして燈明を求めないのか?

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第11章 老いること 146

中村先生の訳注によると、燈明を求めないのか―世の中が無常であり、万物が消滅することを、燃えさかる火に譬えていうのであるとされる。

145 第10章 暴力

145 10. Daṇḍavaggo Dhammapadapāḷi

Udakañhi nayanti nettikā, usukārā namayanti tejanaṃ;

Dāruṃ namayanti tacchakā, attānaṃ damayanti subbatā.

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水道をつくる人は水をみちびき、矢をつくる人は矢を矯(た)め、大工は木材を矯め、慎み深い人々は自己をととのえる。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫   真理のことば  第10章 悪 145

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。

Daṇḍavaggo dasamo niṭṭhito.

暴力の章がおわる。

230 第2 小なる章

232 2. Cūḷavaggo 1. Ratanasuttaṃ

Ye ariyasaccāni vibhāvayanti, gambhīrapaññena sudesitāni;

Kiñcāpi te honti bhusaṃ pamattā, na te bhavaṃ aṭṭhamamādiyanti;

Idampi saṅghe ratanaṃ paṇītaṃ, etena saccena suvatthi hotu.

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深い智慧ある人(ブッダ)がみごとに説きたもうた諸々の聖なる真理をはっきりと知る人々は、たとい大いになおざりに陥(おちい)ることがあっても、第八の生存を受けることはない。この勝れた宝は〈つどい〉のうちにある。この真理によって幸せであれ。

ブッダのことば   中村元  訳   岩波文庫   第2  小なる章      1、宝  230

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。中村先生の訳注によると、第八の生存―仏教の修行につとめた聖者(預流果を得た人)は、たとい死後に生存をくりかえすことがあっても、第七回目の生存までにニルヴァーナを得て、第八回目の生存に至ることはないというとされる。

229 第2 小なる章

231 2. Cūḷavaggo 1. Ratanasuttaṃ

Yathindakhīlo pathavissito [padavissito (ka. sī.), paṭhaviṃ sito (ka. sī. syā. kaṃ. pī.)] siyā, catubbhi vātehi asampakampiyo;

Tathūpamaṃ sappurisaṃ vadāmi, yo ariyasaccāni avecca passati;

Idampi saṅghe ratanaṃ paṇītaṃ, etena saccena suvatthi hotu.

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城門の外に立つ柱が地の中に打ち込まれていると、四方からの風に揺(ゆる)がないように、諸々の聖なる真理を観察して見る立派な人は、これに譬(たと)えられるべきだある、とわれは言う。この勝れた宝は〈つどい〉のうちにある。この真理によって幸せであれ。

ブッダのことば   中村元  訳   岩波文庫   第2  小なる章      1、宝  229

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。