典座教訓 3  典座の一日

所謂、当職の一日夜(いちじつや)を経(ふ)るに、先ず斎時(さいじ)罷(おわ)りて、都寺(つうす)・監寺(かんす)等の辺(へん)に就きて、翌日の斎粥(さいじゅく)の物料(もつりょう)を打(た)す。所謂、米菜(べいさい)等なり、打し得了(えおわ)らば、之を護惜(ごしゃく)すること眼睛(がんぜい)の如くせよ、保寧(ほねい)の勇禅師(ゆうぜんじ)曰く、「眼睛なる常住物(じょうじゅうぶつ)を護惜せよ」と。之を敬重(きょうじゅう)すること、御饌草料(ぎょせんそうりょう)の如(ごと)くせよ。生物(しょうもつ)・熟物(じゅくもつ)、俱(とも)に此の意を存(そん)せよ。

次に、諸(もろもろ)の知事は、庫堂(くどう)に在(あ)りて「明日は甚(なん)の味を喫(きっ)し、甚の菜を喫し、甚の粥(じゅく)を設く」等を商量(しょうりょう)す。『禅苑清規』に云う、「如(も)し物料(もつりょう)并(ならび)に
斎・粥の味と数とを打(た)せんには、並に預(あらかじ)め先(ま)ず、庫司(くす)知事と商量せよ」と。所謂、知事とは、都寺・監寺・副司(ふうす)・維那(いの)・典座・直歳(しつすい)有るなり。味と数とを議定(ぎじょう)し了らば、書きて方丈・衆寮(しゅうりょう)等の厳浄牌(ごんじょうはい)に呈せよ。然る後に、明朝の粥を設弁(せつべん)す。

典座教訓・赴粥飯法  道元  全訳注  中村璋八・石川力山・中村信幸    講談社学術文庫

テキストの漢字ルビは、一部カッコ書きで表記した。食事は一日朝昼の二回出るから食事の種類と数量について他の役僧と相談しながら決めなさいという事である。

辨道話 岩波文庫 2

この三昧に遊化(ゆけ)するに、端坐参禅を正門(しょうもん)とせり。この法は、人々(にんにん)の分上(ぶんじょう)にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修(しゅう)せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし。はなてばてにみてり、一多のきはならむや。かたればくちにみつ、縦横(じゅうおう)きはまりなし。諸仏のつねにこのなかに住持(ぢゅぅぢ)たる、各々(かくかく)の方面に知覚をのこさず。群生(ぐんじゃう)のとこしなへにこのなかに使用(しよう)する。各々の知覚に方面あらはれず。

正法眼蔵(1) 道元 著 水野弥穂子 校注  岩波文庫

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。
以下は管理人の解釈である。「この法を実践するためには坐って禅をおこなうことが一番わかり易い。この法はもともと人々に備わっているものであるが、修行をしないと現れてこないし、表れてこないことには法を備えていることの意味がない。法は、こころを投げ出すことによって得られるが、修行の多少の枠外のことである。このことを語ろうとすれば一杯になって語れない。縦横に際限がない。諸仏はつねに胸の中におられる。見るもの聞くもの嗅ぐもの触れるものなどの感覚にこだわりとどまらず、性格が異なるそれぞれのひとも常に階梯をつかう。いろいろな感覚は人それぞれである。」

75 第1 蛇の章 3、犀の角

75 1. Uragavaggo 3. Khaggavisāṇasuttaṃ

Bhajanti sevanti ca kāraṇatthā, nikkāraṇā dullabhā ajja mittā;

Attaṭṭhapaññā asucī manussā, eko care khaggavisāṇakappo.

The Pāḷi Tipiṭaka   https://www.tipitaka.org/

今のひとびとは自分の利益のために交(まじ)わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のようにただ独り歩め。

ブッダのことば 中村元 訳 岩波文庫  第1 蛇の章  3、犀の角  75

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。中村先生の訳注によると、交わりを結びーbhajanti.註は「身を以て取り巻くこと」であると解する(=sariena allīyana payirup
-āsanti.PJ.p130)。奉仕するーsevanti.合掌などをして、ご用をつとめることであると註解されている(=añjalikammādihi kiṃkārapaṭissāvitāya ca paricaranti.Pj.)とされる。

友について語られている。自分の利益とはさまざまな利便や物品なのを対象とするものと思われる。他人にとって本当の二等分による配分は自分の利益が害されていると思うであろう。逆もまた同様である。

Khaggavisāṇasuttaṃ tatiyaṃ niṭṭhitaṃ.

犀の角がここで終わる。原則としては独りで修行することを勧めている事、学識ゆたかで真理をわきまえ、高邁・明敏な友とは交われと説く。

74 第1 蛇の章 3、犀の角

74 1. Uragavaggo 3. Khaggavisāṇasuttaṃ

Rāgañca dosañca pahāya mohaṃ, sandālayitvāna saṃyojanāni;

Asantasaṃ jīvitasaṅkhayamhi, eko care khaggavisāṇakappo.

The Pāḷi Tipiṭaka   https://www.tipitaka.org/

貪欲(どんよく)と嫌悪(けんお)と迷妄(めいもう)とを捨て、結(むす)び目を破り、命(いのち)を失うのを恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫  第1 蛇の章  3、犀の角  74

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。中村先生の訳注によると、結び目ーその原語はsaṃyojanāni であるが、すでに経典の中でその十種を教えている(AN.X,13.vol.V,p.17)。ここでは、真の修行者は愛著(rāga)と憎悪(dosa)と迷い(moha)とを絶つというのであるが、この三者は人間の諸々の煩悩のうちでも最も根本的なものである。この三つは根本的なものであるから、漢文の仏典では「貪瞋痴の三毒」というとされる。

結び目は人を再生へと導びき、解脱を妨害するものに相当するものと思われる。