27 第2章 はげみ

27 2. Appamādavaggo Dhammapadapāḷi

Mā pamādamanuyuñjetha, mā kāmaratisanthavaṃ [sandhavaṃ (ka)];

Appamatto hi jhāyanto, pappoti vipulaṃ sukhaṃ.

The Pāḷi Tipiṭaka   https://www.tipitaka.org/

放逸に耽るな、愛欲と歓楽に親しむな。おこたることなく思念をこらす者は、大いなる楽しみを得る。

ブッダの真理のことば 感興のことば  中村元 訳  岩波文庫 真理のことば第2章 はげみ  27

         

中村先生の訳注によると、思念をこらす者ーjhāyanto.禅定に入っている者のこととされる。放逸、愛欲、歓楽、外部との関係に関することである。

平成31年4月22日 自転車での瞑想

自転車に乗り郊外を走り回る瞑想である。自転車には小学生の頃に乗れるようになったが、道具を使って移動しているという意識がきわめて少ない移動手段である。
外界に注意を払わないという事はないが、平日の田舎道は人も車も自転車も少ない。あまりに自然に乗っているから、不注意であれば、むしろ側道への脱輪とかを心配しなくてはいけない。自転車を忘れるというか、自転車と一体というか。今ここに集中してペダルを踏むということが繰り返される

70 第1 蛇の章 3、犀の角

70 1. Uragavaggo 3. Khaggavisāṇasuttaṃ

Taṇhakkhayaṃ patthayamappamatto, aneḷamūgo [anelamūgo (syā. pī. ka.)] sutavā satīmā;

Saṅkhātadhammo niyato padhānavā, eko care khaggavisāṇakappo.

The Pāḷi Tipiṭaka   https://www.tipitaka.org/

妄執の消滅を求めて、怠らず、明敏であって、学ぶこと深く、こころをとどめ、理法を明らかに知り、自制し、努力して、犀の角のようにただ独り歩め。

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫  第1 蛇の章  3、犀の角  70

中村先生の訳注によれば、明敏であってーanelamūgo.直訳すれば、明朗な喉のある、啞ではない、という意味(=paṇḍita=vyatta.Pj. )。学ぶこと深くー原文にはsutavāとなっている。直訳すると、「聞いたことが多く」という意味である。当時は、師の説いたことを聞いて暗記することが「学問」であった。世俗のことがらに関しては、文字に書くことがなされていたが、宗教的な学問については筆記はなされなかったとされる。

態度といい能力といい性格といい欠けることがない人物象である。このような美しい言葉を聞いてこころを養うのも修行である。