21 第2章 はげみ

21  2. Appamādavaggo  Dhammapadapāḷi

Appamādo amatapadaṃ [amataṃ padaṃ (ka.)], pamādo maccuno padaṃ;

Appamattā na mīyanti, ye pamattā yathā matā.

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つとめ励むのは不死の境地である。怠りなまけるのは死の境涯である。つとめ励む人々は死ぬことが無い。怠りなまける人々は、死者のごとくである。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元 訳   岩波文庫  真理のことば  第2章 はげみ  

中村先生の訳注によると、不死の境地ーamatapadam.この語を『法句経』には「甘露道」と訳し、maccuno padamを「死経」と訳して、padaを道と解しているが、「場所」「境地」「境涯」の意味ではなかろうか?例えばサンスクリット文芸でāśramapadaというときは、仙人の庵のある場所、住居である。ちなみにamataは「甘露」とも訳され、ニルヴァーナの異名となっているとされる。

生まれたものは死ぬ。生じたものは滅する。これはわれわれが、釈迦牟尼に教えてもらい、静かに観察する時、五感で観察することが出来る事実である。しかし、実際には知人の死など出来事に遭遇した際に実感するのみであって、平素はそのような観想、この肉体は滅びに向かっているなどと見ることはできていない。このため、その場その場の喜びや愛欲、怒りや失望に飲み込まれてしまうことが多い。

8 一つずつの詩句の集成 第1章

8. Vīrattheragāthā 1. Paṭhamavaggo
1. Ekakanipāto Theragāthāpāḷi

‘‘Yo duddamiyo damena danto, vīro santusito vitiṇṇakaṅkho;

Vijitāvī apetalomahaṃso, vīro so parinibbuto ṭhitatto’’ti.

Itthaṃ sudaṃ āyasmā vīro thero gāthaṃ abhāsitthāti.

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かつては制御し難かったが、いまや自制によって制御されているヴィ―ラ(勇者)は、満足し、疑惑を超え、勝利者となって、恐怖をいだくことがない。かれヴィ―ラは、完全に安らぎを得て、みずから安立している。

 ヴィ―ラ長老

仏弟子の告白 中村元 訳  岩波文庫  一つずつの詩句の集成  第1章

釈迦牟尼の教えは、自分で試してみて実証されなければならない。仏教での信仰は試してみる価値があることを信じるというところから始まり、実践が必要となる。このとき正しい努力をしているかを教えてくれる人がいることが望ましい。師匠とか先達とか。本人に助言が必要な時、適切にその人にあった助言をしてくれることが望まれる。

59 第1 蛇の章 3、犀の角

59  1. Uragavaggo 3. Khaggavisāṇasuttaṃ

Khiḍḍaṃ ratiṃ kāmasukhañca loke, analaṅkaritvā anapekkhamāno;

Vibhūsanaṭṭhānā virato saccavādī, eko care khaggavisāṇakappo.

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世の中の遊戯や娯楽(ごらく)や快楽に、満足を感ずることなく、心ひかれることなく、身の装飾を離れて、真実を語り、犀の角のようにただ独り歩め。

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫  第1 蛇の章  3、犀の角  59

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。世間一般の五感を楽しませるものから離れよ。五感を楽しませるものに浸っていると執着が生まれる。始まったものはいつかは終わる。五感を楽しませられない苦しみが起る。