19 第1章 ひと組みずつ

19  1. Yamakavaggo  Dhammapadapāḷi

Bahumpi ce saṃhita [sahitaṃ (sī. syā. kaṃ. pī.)] bhāsamāno, na takkaro hoti naro pamatto;

Gopova gāvo gaṇayaṃ paresaṃ, na bhāgavā sāmaññassa hoti.

The Pāḷi Tipiṭaka  https://www.tipitaka.org/

たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。-牛飼いが他人の牛を数えているように。かれは修行者の部類には入らない。

20 第1章 ひと組みずつ

20  1. Yamakavaggo  Dhammapadapāḷi

Appampi ce saṃhita bhāsamāno, dhammassa hoti [hotī (sī. pī.)] anudhammacārī;

Rāgañca dosañca pahāya mohaṃ, sammappajāno suvimuttacitto;

Anupādiyāno idha vā huraṃ vā, sa bhāgavā sāmaññassa hoti.

The Pāḷi Tipiṭaka  https://www.tipitaka.org/

たとえためになることを少ししか語らないにしても、理法にしたがって実践し、情欲と怒りと迷妄とを捨てて、正しく気をつけていて、心が解脱して、執著することの無い人は、修行者の部類に入る。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元  訳   岩波文庫   真理の言葉  第1章 ひと組みずつ  19、20

中村先生の訳注によると、たとえーpi ce.またほかの場合にはapi ceということもある。「或るものが見せかけは良く見えるけれども、実際には無意義である」というときに、api ceという。ためになることーsahita.パーリ文註釈には「三蔵に説かれている仏の教え」と解する。かれは修行者の部類には入らないーnā bhāgavā sāmaññassa hoti=sāmaññassa pana bhāgi na hoti, Comm.

20にあげる人はまさに修行者であって、19の人とはくらべるべきもない。ただ凡夫も清く正しい言葉に接して、これらの言葉に云われることがらを心の中に度々流し込んでいるのである。

Yamakavaggo paṭhamo niṭṭhito.

第1章 ひと組みずつはこの詩句で終わる。比較することによって自らの現在を知り、希望を養うのである。

平成31年4月8日 歩く瞑想

風は冷たかったが、天候は良かった。桜がそこかしこに咲いていて目を楽しませてくれた。その日の歩く瞑想は、足の上げ下ろしに注意したり、数を数えたり、呼吸に集中するものではなく、目に映る光景を楽しみ、今という瞬間に生きる瞑想である。過去も未来も何もないただ歩きさえすればよい。距離にすると8キロメートルほどであるが、終わった後気分が軽く壮快になる。

17 第1章 ひと組みずつ

17 1. Yamakavaggo Dhammapadapāḷi

Idha tappati pecca tappati, pāpakārī [pāpakāri (?)] ubhayattha tappati;

‘‘Pāpaṃ me kata’’nti tappati, bhiyyo [bhīyo (sī.)] tappati duggatiṃ gato.

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悪いことをなす者は、この世で悔いに悩み、来世でも悔いに悩み、ふたつのところで悔いに悩む。「わたくしは悪いことをしました」といって悔いに悩み、苦難のところ(=地獄など)におもむいて(罪のむくいを受けて)さらに悩む。

18 第1章 ひと組みずつ

18  1. Yamakavaggo  Dhammapadapāḷi

Idha nandati pecca nandati, katapuñño ubhayattha nandati;

‘‘Puññaṃ me kata’’nti nandati, bhiyyo nandati suggatiṃ gato.

The Pāḷi Tipiṭaka  https://www.tipitaka.org/

善いことをなす者は、この世で歓喜し、来世でも歓喜し、ふたつのところで共に歓喜する。「わたくしは善いことをしました」といって歓喜し、幸(さち)あるところ(=天の世界)におもむいて、さらに喜ぶ。

ブッダの真理のことば 感興のことば   中村元  訳  岩波文庫  真理のことば  第1章 ひと組みずつ  17、18 

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。この詩句は縁起を説くというよりも善悪を行うことについての結果を提示し、悪い行いをしないよう提案していると思う。世間的な善悪ではないが、通常の人間は善悪の両方を想い又行っている。ジャカ―タなどでは、天宮餓鬼という存在がよくでてくる。善いことをした報いと悪いことをした報いを同時に受け、昼夜などで報いが区別されるなど表現される。善いことをひとに勧める言葉としていろいろなお話がつくられたものと思う。

58 第1 蛇の章 3、犀の角

58  1. Uragavaggo 3. Khaggavisāṇasuttaṃ

Bahussutaṃ dhammadharaṃ bhajetha, mittaṃ uḷāraṃ paṭibhānavantaṃ;

Aññāya atthāni vineyya kaṅkhaṃ, eko care khaggavisāṇakappo.

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学識ゆたかで真理をわきまえ、高邁(こうまい)・明敏(めいびん)な友と交(まじ)われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を除き去って、犀の角のようにただ独り歩め。

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫  第1 蛇の章  3、犀の角  58

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。中村先生の訳注によると、「学識豊かな」(bahussuta「多く聞いた」の意)という語があるから、古来の聖典の伝承を学び、暗記して身につけることをたたえているのである。これは他人との対人関係を前提としているから、孤独な修行者も決して人間関係から孤立していたのではないとされる。

学友というのか法友というのか、真理について共に学ぶ友人というのは得難いものである。世間知という学識や地位など世俗にまみれると耳に順うものに親しみ、耳に不愉快なものを遠ざける。真に有益な問答から離れてしまう。美しい言葉に接し身を正さなければならない。