56 第1 蛇の章 3、犀の角

56 1. Uragavaggo 3. Khaggavisāṇasuttaṃ

Nillolupo nikkuho nippipāso, nimmakkho niddhantakasāvamoho;

Nirāsayo [nirāsāso (ka.)] sabbaloke bhavitvā, eko care khaggavisāṇakappo.

The Pāḷi Tipiṭaka  https://www.tipitaka.org/

貪(むさぼ)ることなく、詐(いつわ)ることなく、渇(かつ)望することなく、(見せかけで)覆(おお)うことなく、濁(にご)りと迷妄(めいもう)を除(のぞ)き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のようにただ独り歩め。

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫  第1 蛇の章  3、犀の角  56

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。中村先生の訳注によると、見せかけで覆うことなくーnimmakha.この語を「(他人の徳を)覆うことなく」と解することも可能である。しかし、そう言うのは、どうもひとりで住む修行者には結びつかないように思われる。(中略)しかしmakkhaは「偽善(hypocrisy)という意味があるから、ここでは、修行者が「偽善をなすことなく」「つくろって見せかけをなすことなく」「ごまかさず」という意に解した方が、この箇所に適合すると思う。濁りーその原語はkasāvaである。愛執と嫌悪と迷いの三つの濁り、または身体の濁りと言葉の濁りと心の濁りとの三つの濁りを立てることがあるが、そのうち迷いを除いて五つをいう、と註釈は解する。中村先生はもって廻った解釈であるとされる。

この詩句は出家者の決意表明だと思うが、否定を繰り返し、それ以外の存在という表現にはなぜかなじみがある。どのことも徹底することは容易ではないが、このような文章に接し努力をしようとすることは良いことだと思う。