5 一つずつの詩句の集成 第1章

5. Dabbattheragāthā 1. Paṭhamavaggo
1. Ekakanipāto Theragāthāpāḷi

‘‘Yo duddamiyo damena danto, dabbo santusito vitiṇṇakaṅkho;

Vijitāvī apetabheravo hi, dabbo so parinibbuto ṭhitatto’’ti.

Itthaṃ sudaṃ āyasmā dabbo thero gāthaṃ abhāsitthāti.

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かつては制御し難かったが、いまや自制によって制御されているダッバは、満足し、疑惑を超え、勝利者となって、恐怖をいだくことがない。なぜならば、このダッバは善良であって、完全に安らぎを得て、みずから安立しているからである。

 尊き人・ダッバ長老はこのように詩句を唱えた。

仏弟子の告白 中村元 訳  岩波文庫  一つずつの詩句の集成 第1章 5

中村先生の訳注によると、ダッバーDabbaなる人物はマッラ族の王家の生まれであったが、釈尊にあって、七歳で出家し、のち、教団の臥坐具や食事などの配分の係となった。またダッバマーラ(Dabbamāla )なる人は教団の施設をつかさどっていたというが、おそらく同一人であろうとされる。

してみると、ダッバ長老は作務によりサンガに貢献した人ということになる。初期仏教では出家者は作務をしないこととされていたと、どこかで読んだが、何事も極端にとらえてしまっては修行もままならず、集団の場を清浄に保つことも難しくなると理解する。

7 第1章 ひと組みずつ

7   1. Yamakavaggo   Dhammapadapāḷi

Subhānupassiṃ viharantaṃ, indriyesu asaṃvutaṃ;

Bhojanamhi cāmattaññuṃ, kusītaṃ hīnavīriyaṃ;

Taṃ ve pasahati māro, vāto rukkhaṃva dubbalaṃ.

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この世のものを浄らかだと思いなして暮し、(眼などの)感覚を抑制せず、食事の節度を知らず、怠けて勤めない者は、悪魔にうちひしがれる。-弱い樹木が風に倒されるように。

8 第1章 ひと組みずつ

8   1. Yamakavaggo   Dhammapadapāḷi

Asubhānupassiṃ viharantaṃ, indriyesu susaṃvutaṃ;

Bhojanamhi ca mattaññuṃ, saddhaṃ āraddhavīriyaṃ;

Taṃ ve nappasahati māro, vāto selaṃva pabbataṃ.

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この世のものを不浄であると思いなして暮し、(眼などの)感覚をよく抑制し、食事の節度を知り、信念あり、勤めにはげむ者は、悪魔にうちひしがれない。-岩山が風にゆるがないように。

ブッダの真理の言葉 感興の言葉  中村元 訳  岩波文庫  真理の言葉  第1章 ひと組みずつ  7、8

この詩句は宗教的に読まなくても養生の勧めとも読める。中道に励めば大方の場合は健康でおれる。健康であれば勤めに励むことも有利である。釈迦牟尼の言葉は自分の人生に対する向き合い方について示唆に富んでいる。

48 第1 蛇の章 3、犀の角

48 1. Uragavaggo 3. Khaggavisāṇasuttaṃ

Disvā suvaṇṇassa pabhassarāni, kammāraputtena suniṭṭhitāni;

Saṅghaṭṭamānāni duve bhujasmiṃ, eko care khaggavisāṇakappo.

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金の細工人がみごとに仕上げた二つの輝く黄金(おうごん)の腕輪(うでわ)を一つの腕にはめれば、ぶつかり合う。それを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫 第1 蛇の章  3、犀の角  48

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。中村先生の訳注によると、腕輪ー腕輪valayāniという語を補って解すべきである。ぶつかり合うー腕輪が一つならば音を立てないが、二つ以上あると、ぶつかり合って音を立てることをいうとされる。

音を立てるというのはよくない意味であると思われる。静寂に対する喧噪など、価値のあるもの同士でさえ修行の妨げとなる。そのように理解しないと、ただ独り歩めという結論につながらないと思われる。