ブッダの今を生きる瞑想 1

ひとりで生きるより良き道の教え 1

 長老経

世尊がシュラヴァスティの町にあるジェーダ林の僧院に滞在していたある日、私はこのように聞いた。当時、ひとりだけでいることを好んだテーラ(長老)という名の比丘がいた。彼はことあるたびに、孤独にとどまる修行を称賛していた。そして誰からも離れて托鉢(たくはつ)をし、ひとりきりで座って瞑想した。

あるとき、何人かの比丘たちがブッダにたずねた。彼らはブッダの足もとに平伏して敬意を表してから、脇へしりぞき、離れた場所に腰をおろしてこう聞いた。「世尊よ、テーラという名の、ひとりだけでいることを好む年長の比丘がいるのですが、彼はひとりで村まで托鉢に行き、ひとりで棲家(すみか)に戻り、座る瞑想もひとりきりでするのです」

ブッダは比丘のひとりに向かって言った。「テーラという僧のところへ行き、私が会いたがっていると告げなさい。」

比丘はその通りにした。テーラという僧はブッダの伝言を聞くとすぐさまやって来て、ブッダの足もとに平伏し、脇へしりぞき、離れた場所に腰をおろした。世尊は比丘テーラにたずねた。

「あなたがひとりでいることを好み、孤独な暮らしを称賛し、ひとりで托鉢をしてひとりで家へ戻り、座る瞑想もひとりでするというのは本当か?」

「世尊よ、本当です」、テーラは答えた。

「その暮らしはどんなものか?」ブッダは聞いた。

テーラは答えた。「私はひとりで暮らし、ほかには誰もいません。孤独にとどまる修行を讃えています。ひとりで托鉢をしてひとりで家へ戻り、座る瞑想もひとりでします。これがすべてです」

そこでブッダはテーラにこう説いた。「あなたはたしかに、ひとりで生きる修行を好んでいるようだ。それを否定はしまい、しかしひとりで生きるために、さらにすばらしく深遠な道があることを伝えよう。過去はすでになく、未来はまだ来ない、欲から解放され今このときに安らいでとどまるーこれを深く見抜き理解する道である。このように生きる者は、心に一片の迷いもない。あらゆる不安や悔いを捨て、欲の束縛を解いて、解放をはばむ枷(かせ)を断ち切る。これこそ『ひとりで生きるより良き道』である。ひとりで生きるためにこれ以上の道はない」

そして世尊は次の偈(げ)(ガーター)を吟じた。

いのちを深く見つめれば

あるがままの真実を曇りなく知ることができる

何ものにもとらわれずに

あらゆる貪欲を取り除くことができる

それにより、人生は安らぎと喜びに満たされる

これこそ、真にひとりで生きるということだ

世尊の言葉を聞き、僧テーラは歓喜した。そして伏して敬意をあらわし、戻った。

ブッダの〈今を生きる〉瞑想 ティク・ナット・ハン 島田啓介訳 野草社

このテキストでは、まず経典が示される。そののち解説なりに移る。

37 第1 蛇の章 3、犀の角

37 1. Uragavaggo 3. Khaggavisāṇasuttaṃ

Mitte suhajje anukampamāno, hāpeti atthaṃ paṭibaddhacitto;

Etaṃ bhayaṃ santhave [sandhave (ka.)] pekkhamāno, eko care khaggavisāṇakappo.

The Pāḷi Tipiṭaka   https://www.tipitaka.org/

朋友・親友に憐(あわ)れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫  第1 蛇の章 3、犀の角 37

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。中村先生の注釈によると、朋友・親友に憐れみをかけーこれに類した句は他の仏典にもある。利ー原語 attha. 大切なことをいう。「目的」と訳してもよい。独りでいるならば、最も大切なものを失わないで済むという事である。「独り修行する」ということはバラモン教の系統の叙事詩などにおいて大いに称賛されていたが、それと同じものを初期の仏教も受けていたのであるとされる。

ティク・ナット・ハン(Thich Nhar Hanh)師は「ブッダの〈今を生きる〉瞑想(Our Appointment with Life & Two Treasures)」島田啓介訳 野草社 でひとりで生きるより良き道の教えを説いておられますので、このテキストも読んでいきたいと思います。

36 第1 蛇の章 3、犀の角

36 1. Uragavaggo 3. Khaggavisāṇasuttaṃ

Saṃsaggajātassa bhavanti snehā, snehanvayaṃ dukkhamidaṃ pahoti;

Ādīnavaṃ snehajaṃ pekkhamāno, eko care khaggavisāṇakappo.

The Pāḷi Tipiṭaka   https://www.tipitaka.org/

交(まじ)わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起る。愛情から禍(わざわ)いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫  第1 蛇の章 3、犀の角 36

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。。中村先生の注釈によると、交わりをしたならばーsaṃsagga・jātassa=jāta・saṃsaggassa 「交わり」とは、会うこと、声を聞くこと、身体で触れること、おしゃべり、享楽の五種類のことであると解釈されている。この解釈によると握手もしてはいけないということになる。南アジアのビクは、決して握手をしないが、外国人に対しては握手をすることもある。パーリ語の
saṃsagga のサンスクリット相当語である saṃsarga は特に「接触」を意味するとされる。また愛情はーsneha. であるとのこと。

この詩句は仏教の教えの本質を突くものと思われるが凡人にはやはり厳しい。しかしこのことは戒律というよりは、繰り返しになるが、教えの本質であってよく理解しなければならない。