12 1. Uragavaggo 1. Uragasuttaṃ
Yo nāccasārī na paccasārī, sabbaṃ vitathamidanti vītadoso;
So bhikkhu jahāti orapāraṃ, urago jiṇṇamivattacaṃ purāṇaṃ.
The Pāḷi Tipiṭaka https://www.tipitaka.org/
走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って憎悪(ぞうお)を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。-蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
ブッダのことば 中村元 訳 岩波文庫 第1 蛇の章 1、蛇 12
本の記載で漢字のルビがあったものはカッコ書きで表記した。中村先生の別の項の注釈によると、dosaは、(1)嫌悪し、次に(2)憎悪し、さらに(3)打ちのめし害することをいうという。
自分の覚知する世界が偽りであるということはなかなか感じれないが、一緒に生きている個々人が、それぞれ世界を別の見え方で観ていることは何となく感じるところである。自分の見え方が正しくて他人が間違っているとはいえないであろう。
さらに、次々にわき起こり消えてゆくさまざまな思考や感情、車に割り込まれてカッとなった、お腹がすいた、あの時は腹が立った、この映画は退屈だとかいうさまざまな一時的な反応を見せられているに過ぎない。それは、時間がたつと消えていく。嫌な事は何度も再生されることもある。このうつろいやすい細切れの思考や感情は、我や自己であろうか。
何が正しいかという場合に、我というもの、自分という者の存在があるとして、その視点が思考や感情の中心となり、さらに世界の見え方をゆがめているといえる。憎悪もその際の反応に過ぎないと思う。