7 1. Uragavaggo 1. Uragasuttaṃ
Yassa vitakkā vidhūpitā, ajjhattaṃ suvikappitā asesā;
So bhikkhu jahāti orapāraṃ, urago jiṇṇamivattacaṃ purāṇaṃ.
The Pāḷi Tipiṭaka https://www.tipitaka.org/
想念を焼き尽くして余すことなく、心の内がよく整(ととの)えられた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。-蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
ブッダのことば 中村元 訳 岩波文庫 第1 蛇の章 1、蛇 7
書物の漢字のルビはカッコ書きで表現した。中村先生の注釈によれば、ここで想念というのは、思慮し思考することである。心の静まった修行者には思慮分別はいらない、ということであるとされる。
心は一時も静まることがなく、お腹がすいた。腹が立つ。請求書が来るはずだ。眠い。昔あった出来事についての自己の感情の回想、将来への不安など一時も休むことがない。人間の獲得した知能は自分自身を苦しめることになった。
わたしたちの遠い祖先が送っていた狩猟生活では、闘うか逃げるかという局面に出会うことがあったか、釈迦牟尼の時代を含め近代においては、人間は物音など少しの出来事や、それに伴う想像思考において交感神経優位となってしまうこととなった。
「闘争・逃走反応(とうそう・とうそうはんのう、英語: fight-or-flight response)は、1929年にウォルター・B・キャノンによって初めて提唱された動物の恐怖への反応である[1][2][3]。闘争か逃走か反応、戦うか逃げるか反応ともいい、戦うか逃げるかすくむか反応(fight-or-flight-or-freeze response)、過剰反応(hyperarousal)、急性ストレス反応(acute stress response)とされることもある。『火事場の馬鹿力』と訳されることもある[4]。
キャノンの説によると、動物は恐怖に反応して交感神経系の神経インパルスを発し、自身に戦うか逃げるかを差し迫るという。この反応は、脊椎動物あるいはその他の生物でストレス反応を引き起こす一般適応症候群の初期段階として後に知られるようになった。」https://ja.wikipedia.org/wiki/戦うか逃げるか反応
人間以外の多くの動物は、実際の危険に対応するという必要な反応であるということである。釈迦牟尼の時代にも、このような能力は過剰なものになっていったと思われる。
わたしたち人間は、思考し、未来に不安を持ち、過去を悔やむ能力を獲得したことによって、この反応を頻繁かつ過剰に起こし、自分たちの持っている体内の武器で自分自身を傷つけるようになった。