5 第1章 ひと組みずつ

5   1. Yamakavaggo   Dhammapadapāḷi

Na hi verena verāni, sammantīdha kudācanaṃ;

Averena ca sammanti, esa dhammo sanantano.

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実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。

6 第1章 ひと組みずつ

6   1. Yamakavaggo   Dhammapadapāḷi

Pare ca na vijānanti, mayamettha yamāmase;

Ye ca tattha vijānanti, tato sammanti medhagā.

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「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。-このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人があれば、争いはしずまる。

ブッダの真理のことば 感興のことば  中村元 訳  岩波文庫  真理の言葉第1章 ひと組みずつ 5、6

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。中村先生の訳注によると、覚悟をしようーyamāmase.一人称複数、為自態、命令形。その意味はよく解らない。「自己を制する(yam)」という意味か、あるいは「死神(Yama)に制圧される」という意味であろうか。恐らく吟誦する人は両方の意味をもっていたであろうと考えられるので、このように訳した。他の人々ーパーリ文註釈は、賢者を除いた他の愚者、の意味に解しているとされる。

争いについての言葉であると思われる。争いはどこかでおさまられなければならない。いつか死ぬことを思えば争いは静まるという。多くの人は反論して言うだろう。自分が一分後か、五十年後かには死ぬことを知っていると。死に対する実感の問題と、すぐに争いに火がついてしまう気性の問題があろうかと思う。

45 第1 蛇の章 3、犀の角

45 1. Uragavaggo 3. Khaggavisāṇasuttaṃ

Sace labhetha nipakaṃ sahāyaṃ, saddhiṃ caraṃ sādhuvihāridhīraṃ;

Abhibhuyya sabbāni parissayāni, careyya tenattamano satīmā.

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もしも汝(なんじ)が、〈賢明で協同し行儀(ぎょうぎ)正しい明敏(めいびん)な同伴者〉を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫  第1 蛇の章 3、犀の角 45

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。中村先生の訳注によると、賢明ーdhira.危難にー原文にはparissayāniとあるが、これは古アルダマーガディー語形である。「協同し(saddhiṃcara)」というから、ここでは高い目的のために協力することは称賛されているのである。ここに仏教の集い(saṅgha)の成立する思想的根拠が認められるとされる。

釈迦牟尼を中心とした教団のようなものが初期からあったのかと想像していましたが、そうでもないのかなという印象も持つ。大方の修行者は、雨安吾のときだけ釈迦牟尼の近くに移動して法を聞き修行をするということだったのか、おいおい学習が深まれば分かってくることを期待する。

3 一つずつの詩句の集成 第1章

3. Kaṅkhārevatattheragāthā 1. Paṭhamavaggo
1. Ekakanipāto Theragāthāpāḷi

‘‘Paññaṃ imaṃ passa tathāgatānaṃ, aggi yathā pajjalito nisīthe;

Ālokadā cakkhudadā bhavanti, ye āgatānaṃ vinayanti kaṅkha’’nti.

Itthaṃ sudaṃ āyasmā kaṅkhārevato thero gāthaṃ abhāsitthāti.

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〈完き人〉たちのこの知慧を見よ。暗夜に燃える火のごとくに、光明を与え、眼をさずけ、(かれらのもとに)来れる人々の疑いを除く。

 尊き人・カンカーレーヴァタ長老は、このように詩句を唱えた。

仏弟子の告白 中村元 訳  岩波文庫  一つずつの詩句の集成 第1章 3

中村先生の訳注によると、完き人ーtathāgata.漢訳では「如来」と訳す。修行を完成した人をいうとされる。

釈迦牟尼を讃えた詩句であると思われる。

3 第1章 ひと組みずつ

3   1. Yamakavaggo  Dhammapadapāḷi

Akkocchi maṃ avadhi maṃ, ajini [ajinī (?)] maṃ ahāsi me;

Ye ca taṃ upanayhanti, veraṃ tesaṃ na sammati.

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「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨(うら)みはついに息(や)むことがない。

4 第1章 ひと組みずつ

4   1. Yamakavaggo   Dhammapadapāḷi

Akkocchi maṃ avadhi maṃ, ajini maṃ ahāsi me;

Ye ca taṃ nupanayhanti, veraṃ tesūpasammati.

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「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息(や)む。

ブッダの真理のことば 感興のことば  中村元 訳  岩波文庫   真理の言葉  第1章 ひと組みずつ 3,4

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。中村先生の訳注によると、害したーavadhi.vadhという語根は「殺す」の意味であるが、ここでは「害す」の意味であろうとされる。

状況について引き起こされる思考や感情は、観察をすれば本人がよく使用する経路を通じて生み出されることが多いという。それを性格と呼んでもよい。一方この思考や感情の傾向性は、歳月の経過とともに変化することがあるが、仏教でいえば禅や瞑想で、医学でいえば認知行動療法などでも変化することがある。思うに性格というものは変化するので「我」ではない。

44 第1 蛇の章 3、犀の角

44 1. Uragavaggo 3. Khaggavisāṇasuttaṃ

Oropayitvā gihibyañjanāni [gihivyañjanāni (syā. kaṃ. pī.)], sañchinnapatto [saṃsīnapatto (sī.)] yathā koviḷāro;

Chetvāna vīro gihibandhanāni, eko care khaggavisāṇakappo.

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葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように、在家のしるしを棄て去って、在家の束縛(そくばく)を断(た)ち切って、健(たけ)き人はただ独り歩め。

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫  第1 蛇の章 3、犀の角 44

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。出家の勧めである。

43 第1 蛇の章 3、犀の角

43 1. Uragavaggo 3. Khaggavisāṇasuttaṃ

Dussaṅgahā pabbajitāpi eke, atho gahaṭṭhā gharamāvasantā;

Appossukko paraputtesu hutvā, eko care khaggavisāṇakappo.

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出家者(しゅっけしゃ)でありながらなお不満の念をいだいている人々がいる。また家に住まう在家者(ざいけしゃ)も同様である。だから他人の子女にかかわること少く、犀の角のようにただ独り歩め。

ブッダのことば 中村元 訳 岩波文庫  第1 蛇の章 3、犀の角 43

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。愛し、貪り、執着することは、心の平穏をみだし苦しみの原因となる。

42 第1 蛇の章 3、犀の角

42 1. Uragavaggo 3. Khaggavisāṇasuttaṃ

Cātuddiso appaṭigho ca hoti, santussamāno itarītarena;

Parissayānaṃ sahitā achambhī, eko care khaggavisāṇakappo.

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四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々(もろもろ)の苦難に堪(た)えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

ブッダのことば 中村元 訳  岩波文庫  第1 蛇の章 3、犀の角 42

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。苦手とかこだわりとか好みとかがないという事である。生きていくうちには、人によって出来事に対する思考や感情が、同じループを通ってわき起こることが多い。これによる行動や行動しないという決断や迷いもまた同じと思われる。これを人は自分とか、自分の物と感じ、我があると思考する。しかし、ここにそのループで巻き起こる自分の感情に振り回され、痛めつけられている人がいて、心理療法なり、修行なりを正しく行ったり、環境を大きく変化させたりすると、先ほどの、出来事に対する思考や感情のループやそれによる行動や行動しないことが変化することがある。そのものが本来持っている性質を「我」と呼ぶなら、感情や思考や行動の決断は「我」ではない。

1 第1章 ひと組みずつ 

1 1. Yamakavaggo Dhammapadapāḷi

Manopubbaṅgamā dhammā, manoseṭṭhā manomayā;

Manasā ce paduṭṭhena, bhāsati vā karoti vā;

Tato naṃ dukkhamanveti, cakka

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ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行なったりするならば、苦しみはその人につき従う。-車をひく(うし)の足跡に車輪がついて行くように。

2 第1章 ひと組みずつ

2 1. Yamakavaggo Dhammapadapāḷi

Manopubbaṅgamā dhammā, manoseṭṭhā manomayā;

Manasā ce pasannena, bhāsati vā karoti vā;

Tato naṃ sukhamanveti, chāyāva anapāyinī [anupāyinī (ka.)].

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ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行なったりするならば、福楽はその人につき従う。-影がそのからだから離れないように。

ブッダの真理の言葉 感興の言葉 中村元 訳 岩波文庫 真理の言葉 第1章 ひと組みずつ 1、2 

中村先生の訳注によれば、ひと組みずつーYamaka.対になっている二つの詩が合して、一つのことがらを説いているのである。漢訳『法句経』では「雙要品」となっている。心ーmano(=Skrt.manos)この語は「意」と訳すのが、古来日本に伝えられた伝統的教学のきまりであり、諸邦訳者もこの呪縛から脱することができなかったし、わたくしもそうであった。(それに従わないと、学問的でない、と非難される。)しかし、維祇難等訳『法句経』「雙要品」の対応個所では「心」と訳している。その方が解り易いから、古い呉時代の訳にしたがった。長井真琴博士はmanoを「意志」と訳し、「マナスはすべての心の働きの中心となっているもので、動機といってもよい」と解する。

私たちは同じ世界を生きているようにみえる。しかし、個人個人の思考や考え方の癖、好き嫌いなど、こころのなかでは、その人ひとり一人のそれぞれの思考、または思考によってなされる行動によって、つくり出される映像や音声は別のものであると考えられる。またその思考は断片的、一時的で、次々と起こっては消える雑多なものであり、それは新しいものや、過去からの思いが自分流に改変されたものであったりする。このため、人はそれが自分自身であったとしても、ころころとかわる世界を見ているし、他人であればもっと異なるのではないだろうか。

2 一つずつの詩句の集成 第1章 

2. Mahākoṭṭhikattheragāthā 1. Paṭhamavaggo
1. Ekakanipāto Theragāthāpāḷi

‘‘Upasanto uparato, mantabhāṇī anuddhato;

Dhunāti pāpake dhamme, dumapattaṃva māluto’’ti.

Itthaṃ sudaṃ āyasmā mahākoṭṭhiko [mahākoṭṭhito (sī. syā.)] thero gāthaṃ abhāsitthāti.

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かれは、心が静まり、(欲望が)止み、思慮して語り、ざわざわすることなく、悪いことがらを吹き払う。-風が木の葉を吹き払うように。

 尊き人マハーコッテカ長老は、このように詩句を唱えた。

仏弟子の告白 中村元 訳 岩波文庫 一つずつの詩句の集成 第1章 2

中村先生の注釈によると、思慮して語るーmantabhāṇin.『真理の言葉』(Dhammpada)第363詩に対する注記とあるので、当該箇所を参照すると、「思慮して語りーmantabhāṇin.恐らくサンスクリットのmandaまたはmandraの修飾形mannaからパーリ語に直されたとリューダースは解する。「やさしく語る人」という語義になる。次にmadhuraṃ bhāsitaṃという語が来るからいちおう筋の通った説明ではあるが、確実な説得力をもっていない。いちおうパーリ文註釈にしたがって解した。 」とされる。

凡夫である私にはとても得難い心境ではあるが、このような美しい言葉を繰り返し聞くことによって、自分自身が、一日にひと時でもそのような状態であればありがたいと思う。

41 第1 蛇の章 3、犀の角

41 1. Uragavaggo 3. Khaggavisāṇasuttaṃ

Khiḍḍā ratī hoti sahāyamajjhe, puttesu ca vipulaṃ hoti pemaṃ;

Piyavippayogaṃ vijigucchamāno, eko care khaggavisāṇakappo.

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仲間の中におれば、遊戯と歓楽(かんらく)とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭(いと)いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。

ブッダのことば 中村元 訳 岩波文庫  第1 蛇の章 3、犀の角  41

テキストの漢字ルビはカッコ書きで表記した。中村先生の注釈によると、情愛ーpema.最初期の仏教においては、独り修行するということが、とくに尊重されていたとされる。

ここで出てくる仲間は、一緒に修行する仲間というより通常の友人を指しているようである。子らに対する情愛は、いろいろな意味で影響が大きく、通常人をして判断を狂わせるほど大きなものであると了解する。別れることを厭いながらもというのは、そのような情愛の感情を振り切ってでもということであろうか。